不倫のリスクが理解できずIQ2になる時「不倫している友達にかける言葉」/カレー沢薫

今回のテーマは「不倫している友達にかける言葉」である。

まず私にはほとんど友達がいないし、その中で不倫をするようなタイプはいよいよいない。
ただ不倫の定義に「画面から出てこない男」を含めるというなら、かなりの昼フェイスどもが揃い踏みになってしまうのだが、今回はそういう話ではないと思う。

だが何より「私に相談をする人間」というのが本格的にいないのだ。
不倫だけでも相当間違っているのに、さらにそれを私に相談するというのは軌道修正でどうにかなる問題ではない。
よってかける言葉は「親父のキンタマから再出発して来い」だ

このように「不倫にしている友達にかける言葉」というテーマは「ギャランドゥ星のインモーニ星人に会ったら何を話しますか?」と聞かれたのと同じで、夢の中の夢みたいな話だ。

じゃあ仮に、夢の中で友人に不倫の相談をされたら何と答えるだろうか。
夢の中というのは無意識の世界なので、割と本性丸出しの行動をとっていることが多く、時には「全裸」という物理的にも丸出しになっていることもままある。
あの定期的に見る「自分だけが全裸の夢」には一体何の意味があるのだろうか。

もし友人(非実在)に不倫の相談をされたら、私はとりあえず神妙な顔をして「まあそういうこともあるよね」的なことを言うと思う。
神妙な顔をしてはいるが、それは当然表向きのことであり、ついでに全裸だ。

つまりどの程度の友人かによるが、おそらく真剣に聞いているふりをしながら「面白がる」と思う。

有名人が不倫をすると、他の大事なニュースを差し置いてその話ばかり報道されるのは大事なニュースより不倫の方が「見る人間が多い」からに他ならない。
何故見るかというと大事なニュースより「おもしろいから」に他ならない。

ドラマでも不倫を題材にしたものはあるし、それが結構な視聴率を叩きだしたりしている。
つまり不倫と言うのはカテゴリ的には「エンタメ」なのだ。

しかも不倫ニュースを追っている人は、推しが不倫したとかされたとかで動向から目を離せない、というわけではなく、むしろ不倫報道がでて初めてそういう人がいると知った人もふくまれていたりする。
知らない人の不倫でも面白いなら、知っている人間の不倫が面白くないわけがない。

さらに、本来なら他人の痴情についてとやかくいう権利はないのだが、何せ「不倫」という民法的絶対悪を行っているため、遠慮なくガタガタ言うことができる。
そして当然関係ないので、どれだけガタガタしても自分はノーリスクである。

よく不倫をする女は自分を悲劇のヒロインと思ってのめり込んでしまう、というが、ドラマとして他人に鑑賞されてしまうという点では確かに間違っていない。

しかしジュリエットではなく、最近広告バナーで良く見かけける、最終的に追放か処刑される悪役令嬢(転生前)として見られているので、悲劇なのは確かだが同情は全くされない。

つまり不倫というのは安全地帯から見下ろしてくる他人にエンタメとして消化される覚悟がないならやらない方がいい。

自分は有名人じゃないから大丈夫と思うかもしれないが、私のような会社で誰とも仲良くしてない人間の耳にすら「不倫情報」だけは入ってくるので、結構な範囲知れ渡ると思った方がいい。
さらにどれだけ込み入った事情があっても、人の耳に入るのは「不倫した」という事実のみだったりするので「そういうことする人なんだ」という情報だけが広まり、例えその不倫を精算したとしても永遠に「不倫した人」というレッテルが剥げないままになったりする。