トイレの紙を渋々変える方が残るといい「夫婦どちらが先に死ぬのがいいのか」/カレー沢薫

今回のテーマは「夫婦どちらが先に死ぬのがいいのか」だ。

私はおキャット様をこよなく愛しながらも、我が家にお迎えせず、おキャット様の概念にひたすら祈りを捧げる、おキャット様原理主義偶像崇拝過激派である。

何故そうなったかというと、おキャット様が御逝去されたら自我の崩壊を免れないと飼う前からわかっているからだ。

おキャット様の寿命が人間より格段に短いのは、神がコードを書いている途中で宅配便が来てしまったがために起こったプログラミングミスであることはあまりにも有名だ。

神もああ見えて、島耕作と同じく70は越えているので、途中で中断が入ると、それまで何やっていたか忘れるし、コロナにも罹るのだ。

しかし、おキャット様のみならず、死ぬ予定がない生き物は存在しない。

好きな相手といつか死に別れるのが嫌だったら、結婚なんて絶対にすべきではない。

そもそも結婚というのは、運良く両方同時に死なない限りは、どっちかが相手の死を看取り、ついでに死骸を片づけなければいけないシステムである、冷静に考えればそんな大役そう簡単には引き受けられない。

だが、そこまで考えて結婚する人間はそんなにいないのだ

おキャット様の死へは思い至るのに何故パートナーの死には思い至らないかというと、先のこと過ぎる、というのもあるが「こいついつか死ぬし、その片づけするの俺じゃん」と気づいてしまったら、結婚を躊躇い出生率がさらに下がってしまう。

よって、神はいらんことに気づかないように人間に「恋愛をしている時は知能が下がる」という機能を搭載した。

そして人間も、後続が自分と同じ人生の墓場に入るのを躊躇しないように「結婚」というのは、子宮から顔を出して以来のピークであり、この世で一番幸せなことだと錯覚するよう、結婚式だのハネムーンだのキラキラしたものだけ見せて、その先にある墓地が見えないようにする手間を惜しまなかった。

皆さんも結婚式で、お互いの死骸を片づけ合う悲壮な決意をした、白装束に死化粧姿の新郎新婦は見たことがないだろう。大体自分たちの幸せな前途を信じて疑ってない顔をしている。

それは幸せなことだけ考え、死骸のことなど考えないように神も周囲も頑張っているからある意味仕方がない。

しかし、いつまでもクルクルパーではいられない。

早めに「とんでもないことをしてしまった」ということに気づいて、神に電凸、もしくは諦めて先のことを考えなければいかない。