対照的に描かれる父二人、母二人、子どもと大人

映画そして父になる 2013『そして父になる』製作委員会

 良多と雄大は対照的です。エリートで完璧主義者、そして家庭よりも仕事を優先する良多。庶民的でちょっぴり適当、だけど家庭を何よりも優先する雄大。

 当然、二人の子どもの育て方も大きく違ってくるわけです。上品で一流に育てられた慶太と、自由で明るく育てられた琉晴。“交換”で互いの家庭に入ると、そこで戸惑いを感じてしまうのは仕方ないこと。
そして、妻の立場も全く違う。夫に抱く不満と、それを吐き出せるか否か。言いたいことが言えるゆかりが、みどりにとっては羨ましく思えるかもしれない。
家庭を想う気持ちは一緒でも、生活と境遇がこうも違ってくるものなのかとビックリする。

 このように、本作ではあらゆる対比が描かれている。特に面白いのは、子どもと大人の対比。
良多の心無い発言により、二つの家庭の間に亀裂が入ってしまう。子どもたちは一緒に遊んだらすぐに仲良くなれるのに、大人は難しい。この対比が何とも痛快で、恐ろしいのです。
子どもはどんどん成長するけど、大人はなかなか成長できない。大人の怒鳴り声と子どもの遊び声が同時に聞こえたときにこそ、それを痛感させてくれるのです。

本当の豊かさとは何か? 子どもはそれを知っている

映画そして父になる 2013『そして父になる』製作委員会

 良多は慶太に十分な愛情を注いでいるつもり。立派な家庭で立派な生活。これ以上、何の幸せがある? そんな自信すら匂わせる。

 確かに、誰が見ても申し分ない環境です。それでも、なぜか慶太の気持ちに近づけない。その大きな理由は“目線”でしょう。
雄大のように子どもと一緒になって遊べない良多は、目線を子どもの位置に下げない。まるで高層マンションから地上を見下ろすような視点。地上にはもちろん雄大が営む電気屋も含まれている。見事なくらい、住まいの高さに愛情が反映されてしまっているのです。
それを子どもは察知する。慶太と琉晴が抱いた、互いの家庭の印象がすべて表している。

 慶太「(斎木家は)みんなで入るお風呂が狭かった」
 琉晴「(野々宮家は)ホテルみたいだった」

 この感想が素朴ながらも、キチンと的を得ているのです。
慶太が感じた風呂場の狭さは、そこでの親と子の距離だった。琉晴はその部屋が美しくて広くても、ここは家じゃないと感じた。

 本当の豊かさとは何なのか。その答えは、子どものほうが知っているのかもしれません。
大人はどのタイミングで“大人”になるのか。これは、どれほど優秀でも“大人”になりきれていない良多の成長の物語です。彼が大人として成長し、目線が高層マンションから地上へ下げられたときこそ、『そして父になる』というタイトルが心に響くのです。
果たして、良多は父になれるのかどうか。それは、すべて子どもが決めることなのでしょう。