私との記憶は心地よいものだと感じて欲しい。身勝手な想いを「消えた猫」に重ねて

 自分を好きになってくれない人や身勝手な人ばかり好きになり、不安定な恋愛関係に陥ってしまう女性たちへ。
「私は最初から私を好きじゃなかった」――自己肯定感の低い著者が、永遠なるもの(なくしてしまったもの、なくなってしまったもの、はなから自分が持っていなかったもの)に思いを馳せることで、自分を好きになれない理由を探っていくエッセイ。

永遠なるものたち015
「猫」

猫を抱き上げる女性の画像 Japheth Mast

 その猫は名前をあんぽんたんといって、でもとても賢そうな顔をしていました。飼い主の夫婦が名前を付けた日、私はまだ生まれていなかったので、どうしてそんな名前になったのかは知りません。それでもとにかく夫婦の家に遊びに行くと、あんぽんたんは気ままに暮らしていました。猫なのに、私よりも年上なのでたまに変な気持ちがしました。ほかに「こてつ」という痩せた猫もいましたが、やっぱり私のほうがこどもだったので、どんな字の名前だったかはわかりません。

 あんぽんたんは20年くらい生きて、なんとなくみんなが「この猫は一生死なないのかもしれない」と思い始めた頃、しれっと家を出ていきました。ある朝飼い主が玄関を開けた瞬間、いつもは絶対にでなかったリビングを飛び出して、それはものすごい素早さと若々しさで階段を駆け下り、閉まる寸前の玄関をすり抜けていきました。
大人たちが名前を呼びながら探しまわって、町中に貼り紙をして、保健所や警察に電話をかけても、あんぽんたんは見つかりませんでした。その先もずっと。

 死に際を見せない習性のエレガンスはあまりに悲しくて、私を素直に困惑させました。どれだけ一緒に暮らしても、最期を預けてくれないのは、どういうわけなんだろう。

 ずっと同じ気持ち(を想像した瞬間に、それがどんなものかわからなくなって戸惑うけれど、たとえば愛情や安心が混ざり合った幸福な)を抱え合っていたはずの生活、などというのは勝手な思い違いで、心の底から信用してくれてはいなかったのだろうか。その考えは、主に自分が愛情を注いでいると思うものについて、私をますます執着させます。