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  • 2018.04.16

ふいに姿を消したものは、またどこかで会えるような気がする/姫乃たま

盗難されていた自転車が見つかったという連絡を警察から受け、「ふいになくなったもの」について思いをめぐらす姫乃たまさん。自転車の持ち主だったおじいちゃんとの思い出がよみがえってきます。

 自分を好きになってくれない人や身勝手な人ばかり好きになり、不安定な恋愛関係に陥ってしまう女性たちへ。
「私は最初から私を好きじゃなかった」――自己肯定感の低い著者が、永遠なるもの(なくしてしまったもの、なくなってしまったもの、はなから自分が持っていなかったもの)に思いを馳せることで、自分を好きになれない理由を探っていくエッセイ。

永遠なるものたち016
「おじいちゃんの自転車」

若者が自転車とともにビーチで日の出を一緒に見ている画像

 春はベランダに突然現れて、いつも私を驚かせます。柔らかくて重たい風が、まとわりつくようにして通りすがるので、浮き足立ってシーツを干していたら電話が鳴りました。警察署です、という声に、私はまた驚かされます。

 悪いことをした覚えもないのにどぎまぎするのは、どういうわけでしょう。
間違い電話かしらというわずかな楽観は、私の名前の確認と一緒にどこかへ行ってしまって、逮捕されそうな知人の顔が次々と頭に思い浮かび(失礼!)ます。それとも家族が事故に? いよいよ不安になっていると、

「盗難されていた自転車が見つかりました」

と少し面倒くさそうな警察官の声が電話越しに聞こえました。

 それは遠くへ旅に出て行った人が、突然、玄関先に現れたような出来事でした。ちょうど、春の訪れみたいに。
私は大事な人が誰も逮捕されていなかったことに、事故に遭っていなかったことに安心して、それからすぐにもう一度、深く安心しました。

 この自転車については、少し説明しなければなりません。
私の祖父は無骨な自転車に乗って、どこへでも走っていく人でした。
その昔は酒屋で配達をしていたので、自転車には荷台がついていて、日本酒やビールを詰めた箱をくくるための黒いチューブがぐるぐると巻き付いています。

 祖父が亡くなった時、取り残された自転車と、自転車に乗れない祖母は、これからどう生きていったものか、互いに途方に暮れました。それでちょうど自転車を欲しがっていた私の友人に、半永久的に貸すという名目で譲ったのです。
祖父の自転車はそもそも野暮ったいうえに、お世辞にもきれいとは言えませんでしたが、大らかな友人はあまり気にしていませんでした。それからしばらく祖父の自転車は愛用されて、大らかさゆえに友人が酔っ払って道端で眠っていたところを盗まれたのです。

 あんなおんぼろの自転車を盗むなんてねえ。
とぼとぼ歩いて帰宅した友人と電話で話した日ももう遠く、盗まれたことすらすっかり忘れていました。

「じゃあ、もうご友人に譲ったということでいいんですね?」

 警察官がやや苛立ったように念を押します。自転車は祖父が防犯登録したままになっていて、警察署からの電話に怯えた祖母が、私まで電話をたらい回しにしたのです。
しかし、今度は私が警察官を困らせる番でした。友人の名前以外、住所も、勤務先(そもそも働いているのか)も、何曜日の何時なら電話に出られるのかもわからなかったのです。辛うじて知っている電話番号を伝えて、電話を切ると、だんだんと愉快な気持ちになって、笑えてきました。

どこかで新しい生活をしているのだろう

 遠くへ旅に出て行った人。私には、そういう人が何人かいます。
小学校が夏休みの間だけプール教室で一緒だった女の子とか、急に入院したまま帰ってこなかった近所のおばあさんとか、タイでトゥクトゥクを運転してくれたタイ人じゃないおじさんとか、話だけ聞いていて会ったことのない恩師の旦那さんとか。

 もう会えない人、会ったことのない人、生きているけどきっと会うことのない人たちは、私の中に同じ重たさで存在しています。みんな、会おうと思えば会えるけど、そのための理由が思い当たらない人みたいです。

 自転車はそのまま、私のところには戻らず、友人に引き取られていきました。

 ついこの間、ある帰り道に、なんとなく祖父のことを考えていました。
いつか私の背が自転車の荷台くらいしかなかった頃、祖父の配達について行ったことがあります。ぶっきらぼうだった祖父は手を繋がずに、ただ歩みを緩めて私がついて来られるように自転車を押していました。

 空にはまんまるの月が出ています。私は車輪が回るからからした音と、祖父の草履が地面と擦れる音と、荷台にくくられた箱の中で酒瓶の肩がぶつかり合う、ちりん、とも、からん、ともつかない音を聞いていました。どれもささやかな響きでした。
首が痛くなるくらい満月を見上げながら、「どうしてお月さまは付いてくるの?」と祖父に尋ねました。

 あの日と同じような、都心にしてはよく星の見える夜だったからかもしれません。悲しむわけでも、かと言って特別に楽しい気持ちでもなく、祖父はどこにいるのかを考えていました。出かけた家族の居場所を考えるような気軽さで。
ぼうっと歩いている私を後ろから、荷台つきのくたびれた自転車で、ジャンパーを着たおじいさんが追い越していきます。街灯の少ない住宅街に消えていく後ろ姿を見ながら、祖父もいまどこかで自転車に乗っている気がしました。

 火葬場では自分の人生を全うしたらまた会えるような気がしたけれど、祖父は天国では待っていなくて、もうどこかで新しい人生を送っているような気がしたのです。
それは悲しいことでも、奇妙なことでもなくて、近頃会っていない友人が、今日もどこかで生活していることを思い出す自然さに似ています。
 

Text/姫乃たま

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ライタープロフィール

姫乃たま(ひめの たま)
地下アイドル/ライター
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