「推しを解釈したい」という欲求――自分を強烈につなぎ止めてほしいがゆえの辛さ『推し、燃ゆ』

by Jess Bailey

たまにネットで流れてくる「90年代の女子高生と現代の女子高生の違い」みたいな記事を読むと、なるほど隔世の感があり、「月日は百代の過客にして……」と思わず松尾芭蕉モードになってしまう。最近はブームが1周してまたルーズソックスが流行り出しているなんて噂も聞くけれど、とりあえずそういった記事を目にすると、今の若い世代にとってもう「不良」はカッコよくないのだなあ……なんて素朴な感想を抱く。地域によって微妙な差はありそうだけど、私が女子高生時代を過ごした00年代の神奈川県はまだ、女子はルーズソックス、男子は腰パンがイケてるという風潮が残っていた。つまりは、服装をちょっとだらしなく、不良っぽくするのがカッコよかったのだ。

ところがネットの記事によると、最近の(最近の、って言い方がもう中年くさいな!)若い世代は、スカートを無闇に短くしないし、靴下もピシッとしているし、鞄も新品みたいにきれい。90年代と比べると、だいぶ品行方正というか、優等生な感じである。『東京リベンジャーズ』などのマンガの盛り上がりを見るに「やっぱり1周してもう一度不良ブーム来るんじゃないか?」なんて予感もするけれど、『スラムダンク』や『幽遊白書』で育った我々の世代からすると、少年ジャンプの主人公たちもみんな優等生的というか、「いい子」が多い印象がある。

そんな近頃の風潮を見て、世の中が清潔になっていくのは喜ばしいけど、そこからはみ出してしまう子がいないかお姉さん少し心配だわ〜と老害しぐさを発動しかけていたのだが、やっぱり物事を表面だけ見て判断するのはよくないですね。芥川賞を受賞した宇佐見りんの『推し、燃ゆ』を読み、別に若い世代だって清潔一辺倒ではないし、清潔一辺倒に見えるのならばそれはお前が中年になって若い世代への解像度が低くなったからだ! という事実を突きつけられたのでした。

解釈し続ける「推し」のいる生活

「推しが燃えた」という一文から始まる『推し、燃ゆ』は、その名の通り「推し」が「燃える(炎上する)」話である。主人公のあかりは、アイドルグループに所属する上野真幸くんを「推し」ている。ところが、真幸くんはファンを殴り、そこから炎上騒ぎに発展しまう。推しを推すことが生きがいだったあかりの生活は、そこから一気に転がり落ちていく。

あかりの生活は、「推し」が中心にある。ファンクラブの会報、CD、DVD、写真集、放送された番組、ありとあらゆるものをストックして、ファイルに綴じて部屋に堆積し、それらを「推し」を解釈するための材料にする。

あ〜そうそう! と私が思ったのは、ここに登場する「解釈」という言葉だ。私も今まさに「推し」がいる状態なので(二次元だけど)、原作マンガに登場する1コマ1コマのセリフ、表情、原作者インタビュー、アニメ監督インタビュー、声優インタビューなどを拾い集め、「推し」を解釈しようと試み、またその解釈について同じファンと語り合ったりしている。

端から見れば、「そんなことして何になるの?」という謎行動だろうが、別にこれが何かになると思ってやってるんじゃなくて、自然とそうなってしまうのだ。そして「解釈違い」に苦しむ。私はこのシーンの表情はこういう意味だと思っていたのに、別見解が公式から出されると、ちょっと傷つく。ファン同士の解釈違いにも一喜一憂する。「推し」が三次元のあかりは、真幸くんがファンを殴るという最大の解釈違いをやらかし、生活が崩れていく。若い世代への理解を深めようじゃないのと若干上から目線で読み始めた『推し、燃ゆ』だったが、めちゃくちゃ現在進行形で、私はあかりの苦しみがわかってしまったのだった。