一人ぼっちの惨めな夜とまやかしの安心感

 facebookはいつからか、見知らぬ子供の成長記録で埋め尽くされ、合コン仲間はひとり、またひとりと嫁いでいく。

 一人でいるよりもマシだからと、どうでもいい男にちやほやされたくなる。その場しのぎのちやほやを優先して、どうでもいい男に媚びるようなLINEをわざわざ送ってしまう。
そんなことをして得られるのは、まやかしの安心感に過ぎないのに。

 まやかしの安心感に手を出す理由は、一人ぼっちでいる自分が、なんだか惨めだからだと思う。でも、一人でいる自分を惨めだと思っているのも、他の誰でもなく自分自身なのだ。自分で自分のことを惨めに思うことは、なんて愚かだろう。

 惨めなんかじゃない。一人でいても、わたしは惨めなんかじゃない。ひとりぼっちの寂しさを思いっきり抱きしめてやりたかった。
わたしが欲しいのは、たった一人の愛し愛される恋人。恋愛のその先に結婚がきらめくような地に足のついた幸せが欲しいのだ。
それなら、要るものしか要らない。

あってもなくてもいい服であふれたクローゼット

 街にバーゲンセールのシーズンが訪れ、駅ビルの中のショップにヒラヒラと色鮮やかなスカートやブラウスが揺れる頃、“何か欲しい”と思う時がある。
何が欲しいのかはわからないけど、何か欲しい。何か買いたい。みんな買っているし、安くなってるし、せっかくだから何か欲しい。
そして半ば無理矢理に“安くて、なんとなく着回せそうな服”を手に取る。ものすごく似合うわけでもないけど、手元にあれば、まあ着るかもしれないそんな服。

 セールで買ったあってもなくてもいい服であふれたクローゼットのような、ぬるい沼から抜け出せなくなることが、実は何よりも恐ろしいと思う。
本当に欲しいと心から望む、自分にピッタリ似合う、きっと10年後も20年後も着たいと思える最高のワンピース一枚をコツコツ貯金して買うように、自分がいちばん素敵でいられる恋を探してみるのはどうだろう。

 寂しい夜をきちんと重ねて。

 恋を、しませんか。

Text/うろんちゃん

次回は <「私って重い女?」そう君は重い女だ!認められなければそれは致命傷になる>です。
次回は「重い女」ということを自分自身が認められれば、恋愛だってすんなりとできるのではないか?というお話。偽りの自分を演出していたって苦しくなるのは自分。だったら重かろうが軽かろうが「本当の自分」をさらけ出して恋愛をしてみませんか?