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  • 2013.09.12

僕が女になっても、“わたし”の愛は変わらない『わたしはロランス』

 彼氏がある日突然、「女になりたい」って言い出したらどうしますか?
誰しも男・女を選択して生まれてきたわけじゃない。“ぼく”だって“わたし”だって、一人称は定まっていない。男でも「わたし」って言うし、女だって「ぼく」って言う人もいるでしょう。

「わたしはロランス」
さて、この人は男なのか女なのか。本当はどちらもでもいい。わたしはわたしであることに変わりはなく、その人はロランスであることに間違いないのだから。
24歳の恐るべき才能が描くのは、一組の男女(?)が“わたし”と“あなた”の関係を貫き通す愛の物語です。

わたしはロランス グザヴィエ・ドラン メルヴィル・プポー スザンヌ・クレマン ナタリー・バイ アップリンク たけうちんぐ トランスジェンダー

 監督のグザヴィエ・ドランは若干24歳にしてカンヌ映画祭の常連であり、あのガス・ヴァン・サント監督が惚れ込む才能の持ち主。そしてなんとイケメン。顔ファン出現必至な映画監督は世界でもなかなか類を見ないと思います。

 女になりたい男・ロランスを演じるのは『ぼくを葬る』のメロヴィル・プポー。中性的には程遠い男らしいルックスの彼ですが、映画を観ていると次第に女性にしか見えなくなってくる魅力に注目です。
戸惑いながらも彼を愛いそうとする恋人のフレッドをロザンヌ・クレマンが演じ、本作で2012年カンヌ国際映画祭ある視点部門で最優秀女優賞を獲得しました。


ストーリー

 ロランス(メロヴィル・プポー)は国語教師をしながら小説を書いている。彼は情熱的な女性フレッド(ロザンヌ・クレマン)と恋愛し、互いに愛し合う日々を送っていた。だが、フレッドに秘密を打ち明けたことで二人の運命は左右される。

「僕は女になりたい。体を間違えて生まれてきてしまったんだ」

 フレッドは激しく動揺するが、恋人としてロランスの一番の理解者でいるために一緒に生きていくことを決意する。だが、社会的に排他され、世間の冷たい視線を浴びる日々が続く中でフレッドは次第に鬱状態に陥っていく。
やがてフレッドはロランスの元を去り、ロランスは別の女性とともに暮らすことになる。
それでも、ロランスはまだフレッドを愛し続けていた。そしてある日、二人は再会を果たすことになる――。

結局、愛に男も女も関係ない

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 オープニングでまず引き込まれる。道行く人が一様にカメラ目線をし、それぞれが好奇、嫌悪、奇怪な目でこちらを見てくる。
やがて、女の格好をしてハイスクールの廊下を堂々と歩いていくガタイのいい男が写り、この目線が主人公・ロランスの主観であることが分かる。この演出により、映画の冒頭からロランスの気持ちに近づけるのです。

 それはもう、キツイったらありゃしない。人々の冷ややかな目線と、社会的に排他される感覚。しかし、この重圧をロランスとともに体験することで、その後の「女になる」という彼の決意がより強く感じられる。

 フレッドの動揺も痛いほど分かる。
女の幸せとは、一人の男を愛し続けることなのか。それとも、結婚して子どもを持つことなのか。
その二つの狭間で揺れるフレッドが、ロランスと別れる決断を強いられたとき、多くの女性は自らの生き方すら問われるに違いない。

 しかし、二人が再会してから映画は劇的に変化する。168分、余すことなくロランスとフレッドの運命を丁寧に描いている。ロランスが男でも女でも、二人の愛は変わらない。
それは夢物語でも絵空事でもなく、世間からの風当たりを容赦なく描写しているからこそ説得力が増すのです。


24歳の映画監督が見せる攻めた映像、野心的な演出

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 画面比率は最近の映画にしては珍しい4:3。
ロランスとフレッドが戯れる寝室には眩い光が入り、そのカットは一枚の絵画のように美しい。

 グザヴィエ・ドラン監督の演出は攻めている。彼が24歳だからか、イケメンだからか、理由はよく分からない。だけど、とにかく今までに無い“新しい映画”に挑戦する野心が垣間見える。

 音楽に合わせた編集はまるでミュージックビデオのようで、スタイリッシュでありながら単なる映像美に留まらない。
男と女の狭間に生きるロランスと、献身的な愛と女の人生の狭間で揺れるフレッドの心理描写として、そこで鳴っている音楽の振動とともに心に響いてくるのです。

 特に印象的なのは、離れ離れになったロランスの詩集を読んだフレッドに大量の水が降りかかるシーン。
そこには衝撃、感動、情熱などあらゆるドラマチックな言葉を自由に当てはめられる。下手したらドリフ的コントになりかねない大胆さも、すんなり受け入れられるのはドラン・マジックと呼ぶべきか。フレッドの想いが、計り知れない水の量とともに降りかかってくるのです。

 詩を具現化したような演出が散りばめられ、言葉と映像との距離がとても狭い。
それこそロランスの詩のように繊細でありながら、監督の演出は大胆。この両極端のバランス感覚がたまらなく快感で、観終わった後に残るのは妙な爽快感なのです。

社会に排斥されながらも注がれる愛情

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 冷たい視線に晒されようが社会的に排除されようが、彼自身は変わらない。

「わたしはロランス」
この邦題が意味するものとは何か。ロランスがロランスであることを一貫する覚悟と、フレッドへの想い。それに触れたとき、単にトランスジェンダーを描いた作品ではなく、人間の壮大な愛を描いた作品に思えてしまいます。

 映画で描かれる愛はこれまでに、国境、人種などあらゆる障害を乗り越えてきた。そしてついに、映画の愛は性別すら越えてしまったのです。

9月7日(土)より、新宿シネマカリテほか全国順次ロードショー

監督:グザヴィエ・ドラン
キャスト:メルヴィル・プポー、スザンヌ・クレマン、ナタリー・バイ
配給:アップリンク
原題:Laurence Anyways/2012年/カナダ=フランス映画/168分
URL:映画『わたしはロランス』公式サイト


Text/たけうちんぐ

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たけうちんぐ
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