結局、愛に男も女も関係ない

わたしはロランス グザヴィエ・ドラン メルヴィル・プポー スザンヌ・クレマン ナタリー・バイ アップリンク たけうちんぐ トランスジェンダー

 オープニングでまず引き込まれる。道行く人が一様にカメラ目線をし、それぞれが好奇、嫌悪、奇怪な目でこちらを見てくる。
やがて、女の格好をしてハイスクールの廊下を堂々と歩いていくガタイのいい男が写り、この目線が主人公・ロランスの主観であることが分かる。この演出により、映画の冒頭からロランスの気持ちに近づけるのです。

 それはもう、キツイったらありゃしない。人々の冷ややかな目線と、社会的に排他される感覚。しかし、この重圧をロランスとともに体験することで、その後の「女になる」という彼の決意がより強く感じられる。

 フレッドの動揺も痛いほど分かる。
女の幸せとは、一人の男を愛し続けることなのか。それとも、結婚して子どもを持つことなのか。
その二つの狭間で揺れるフレッドが、ロランスと別れる決断を強いられたとき、多くの女性は自らの生き方すら問われるに違いない。

 しかし、二人が再会してから映画は劇的に変化する。168分、余すことなくロランスとフレッドの運命を丁寧に描いている。ロランスが男でも女でも、二人の愛は変わらない。
それは夢物語でも絵空事でもなく、世間からの風当たりを容赦なく描写しているからこそ説得力が増すのです。

24歳の映画監督が見せる攻めた映像、野心的な演出

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 画面比率は最近の映画にしては珍しい4:3。
ロランスとフレッドが戯れる寝室には眩い光が入り、そのカットは一枚の絵画のように美しい。

 グザヴィエ・ドラン監督の演出は攻めている。彼が24歳だからか、イケメンだからか、理由はよく分からない。だけど、とにかく今までに無い“新しい映画”に挑戦する野心が垣間見える。

 音楽に合わせた編集はまるでミュージックビデオのようで、スタイリッシュでありながら単なる映像美に留まらない。
男と女の狭間に生きるロランスと、献身的な愛と女の人生の狭間で揺れるフレッドの心理描写として、そこで鳴っている音楽の振動とともに心に響いてくるのです。

 特に印象的なのは、離れ離れになったロランスの詩集を読んだフレッドに大量の水が降りかかるシーン。
そこには衝撃、感動、情熱などあらゆるドラマチックな言葉を自由に当てはめられる。下手したらドリフ的コントになりかねない大胆さも、すんなり受け入れられるのはドラン・マジックと呼ぶべきか。フレッドの想いが、計り知れない水の量とともに降りかかってくるのです。

 詩を具現化したような演出が散りばめられ、言葉と映像との距離がとても狭い。
それこそロランスの詩のように繊細でありながら、監督の演出は大胆。この両極端のバランス感覚がたまらなく快感で、観終わった後に残るのは妙な爽快感なのです。

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