男性の体を見ても興奮しない?

 しかし、もう少し踏み込めば「ストーリーではない、視線が大事なのだ」という反論もありうる。
第一回などで何度も書いてきたように、男性向けAVのカメラが女優だけを映そうとするのに対し、女性向けAVのカメラは「男女」を同時に映す第三者的立ち位置に置かれている。
この違いも、「女は目を通じて興奮しない」仮説を補強するかもしれない。
すなわち、男は女性の身体だけ(しかも女性器や胸、脚、尻、腋、舌といったパーツだけ)で視覚的に興奮し、女は男性の身体よりも2人の関係性を読み取って興奮するのだと。

 手前味噌ながら、納得のすばらしい反論だ!
しかし、このむなしい一人相撲を続けるならば、さらにこういう反論がありうる。
「服部さんが分析しているのは日本のポルノだけですよね」と。

 社会学者・瀬地山角の1998年の論文、「ポルノグラフィーの政治学――性の商品化という問い」は、当時の女性向けポルノの日米比較を行っている。
瀬地山によれば、日本はレディコミなどの漫画が主流であるのに対し、アメリカは写真誌が主流であったらしい。
2008年まで日本版でも発売されていた有名写真誌「PLAYBOY」は、アメリカには女性版の「Playgirl」があり、「ここでは男性のヌードが写真の中心となっている」。
要するに「これは男性向けポルノグラフィーの図式を全く逆にしたもので、女性の視線が男性の身体を領有するという構図をとっている」(p. 77)のである。
すなわち、「男女」を映す第三者的視点という日本の女性向けAVの特徴はここにはなく、アメリカの女性のエロスイッチは視覚的であるようなのだ。
「男女の脳が違う」というような医学・生物学的説明では、日本人女性とアメリカ人女性の嗜好の違いを説明できない。

 ちなみに、男性向けのポルノも日米で違うらしい。
6月に発売されたばかりの長澤均『ポルノ・ムービーの映像美学』によれば、「日本のAVでは、男のイキ顔のアップは滅多に撮らずに女優の表情に終始するが、アメリカ、そしてヨーロッパのハードコアでは、男優のイキ顔は必須のシーンとなっている」(p. 45)そうだ。
欧米の男性向けAVは、日本の女性向けAVと特徴が重なっている。
「女は……」という主語がときに大きすぎるのと同様に、「男は……」という括り方もときに粗雑なようである。

  *  *  *

 さて、これまでの議論だけでは「女性のエロスイッチは視覚ではない」が真っ赤な嘘であるとまでは言えない。
しかし、丸ごと飲み込めるほど真実ではない、ということは分かっていただけただろうか。

「言霊」ではないが、「目では興奮しないぞ!」と思い込んでいると本当にそのとおりになってしまうということはありうる。それは自分の可能性を縛る鎖になってしまう。
「常識」とされていることを一旦「本当だろうか?」と考えることは、研究の場でも何でも、非常に重要なことであるはずだ。

Text/服部恵典

 次回は《「男はみな不感症」である?――射精オーガズムの神話》です。