「下ネタギャグ」が使えないハンデ
また、夫には「下ネタギャグ」が使えないというハンデもある。
私の実家が下ネタが存在しない時空だったため、家族である夫に対して下ネタを言うのは憚られる。
私にとって下ネタを封じられるというのは「言語を失う」に等しいので、あとは「ウッホウッホ」というゴリラの真似しかできないのだが、正直ゴリラギャグが一番ウケるような気がする。
他に何かないかと言われれば、あとは社会から半分グレているような話か、ストレートに悪口ぐらいしかなく、どれも夫にはウケそうにない。
これは夫がそういうソリッドなネタを介さないのが悪い、のではなく私のギャグセンスが古いのが問題だと思われる。
古いというのは「ゲッツ!」方向の古さではない。
昔からイジリといじめは紙一重である。
逆に言えば、一歩間違えればいじめになりかねないような言動で笑いを取るのはそろそろやめた方が良いのではないか、ということである。
下ネタも同様であり、セクハラと紙一重だ。
持ちネタが、下ネタとイジリしかない人間は全く自覚なくセクハラやパワハラを行う場合が多い。
指摘されたとき「冗談だった」と供述するのは、言い訳ではなく本気でそう思っているのだ。
冗談というのは、時代によって面白いか面白くないか以前に「それが冗談で済むかどうか」が変化していくので、ギャグセンスは更新していかないと、ウケると思って人事部直行になってしまう。
つまり今の時代、セクハラやパワハラギリギリのことを言わなければ笑いが取れない、そもそも話題がないような人間はダメなのである。
だがそれ以前に、夫婦になったことにより相手を笑わせようという発想すら無くなっていたのかもしれない。
「釣った魚にミミズを丸めたやつをあげない」という言葉は、金品を与えないだけの意味ではない。
他人に対しては、できれば自分と一緒にいることで楽しい時間を過ごして欲しいので、必死に「おもしれー女」として振る舞おうとするし、それでウケるなら土ぐらいは食うが、結婚した途端、相手に楽しい話をしてやろうという気すら失ってしまったのかもしれない。
そう思ってたまには夫にギャグでも言ってみようかと思ったらドン滑るの繰り返しなので、結局夫とは、今日は暑い、寒い、みたいな話しかしていない。
だがこの「気候の話」こそ、誰も傷つけない上に時代に左右されないコンプラ対策万全な話題とも言える。
ただ「絶望的につまらない」という欠点はあるので、これを面白くする必要はある。
よって今度夫に「毎日寒いでんな、この調子だと8月には凍え死んでしまいますわ」という爆笑お天気ギャグをかましてやろうと思う。
Text/カレー沢薫
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