「決まりに囚われてはいけない」という思い込み

 たぶん、小規模でも結婚式を挙げて、まとめて親類縁者にお集まりいただき、お礼を述べ、お祝いを返した方がよっぽど分かりやすかったと思います。
カワウソたちは2人とも、世の中にある決まりごとや因習には、なるべく囚われないようにしようと考えていました。型にはまらず、自由な関係を築くのが当たり前だと思ってきました。

 それはそれとして、今回は型にはまった方が、楽だったのではないか? 今まで「型にはまる」という言葉から連想するのは、マンネリ、ありきたり、固定観念といったものでした。しかし、世の中にある“型”には、長い時間をかけて編み出された、お手軽時短術みたいなものも多いんじゃないだろうか。
誰にでも起こりうる出来事に備えて、先達が整えてくれた分かりやすい道をわざわざ避けて、藪の中に突っ込んでいたのかもしれない。

型にはまらせていただくという概念

 そこで思い出したのが、作家の町田康がWEB媒体で語っていた、歌舞伎の面白さに関する表現です。

「みんな結末も知ってるし、全場面の流れも知っていて観る。普通の考え方だと『先の分かっているものを観てなぜ面白いのか?』ということになりますけど、それは面白いんじゃなくて“気持ちがいい”んですよ」
松竹株式会社「歌舞伎美人」歌舞伎いろは連載「富樫佳織の感客道」第十三回

 この型を借りれば、結婚も「先の分かっているものに挑んでなぜ面白いのか?」ということになりますけど、それは面白いんじゃなくて“気持ちがいい”んじゃないだろうか? エッチな意味じゃなくて。
はるか昔に用意された型どおりのストーリーでも、自分が舞台に上がり、目の前で展開されると、フィールソーグッドなんじゃないだろうか。