• love
  • 2017.12.18

意外と大変な「ナシ婚」―型にはまり損ねた話/カワウソの結婚

結婚が決まったら両家顔合わせ、結納、結婚式、披露宴。そんな昔のめんどくさい風習はまだまだ根強いです。やりたくないならナシ婚、地味婚もできるけど、よく考えてみると昔からの習わしには残ってきた意味があります。実際やってみるとそれはそれで面倒なナシ婚。実態はどうなのでしょうか?

花をたむける女性の手の画像

 カワウソです! 「結婚やってみよう!」と決め、着々と準備を進めて 遂に婚姻届を提出した我々。その前後にある最大のイベントについてのお話です。

挙式・披露宴はどうする?

 カワウソたちは結婚にあたって、お金がかかることや、自分たち以外に手間をかけることは最小限にしましょう、という姿勢でした。 しかし、両親の顔合わせで「結納はどうする?」と聞かれ、そんな堅苦しいことは……と断ろうとした瞬間、いや、こんな堅苦しくて絶対に滅びそうな習慣は、逆にやりたい! と閃きました。二度とない(はずの)機会だし、謎の多いセレモニーなので、にわかに興味が湧いたのです。

 義両親曰く、結納は「嫁をもらう代わりに金品を贈る」といった男尊女卑的な習わしではなく、あくまで「両家の結びつきを寿ぐ」という儀式だそう。ならば記念としてやってみたいです! とお願いして、婚姻届の提出直前に略式の結納を決行しました。
みんなで正装して、盆と正月がいっぺんに来たようなご馳走を作り、床の間を飾りつけ、両家が盃を交わす。ついでに指輪のお披露目も済ませました。

沖縄式の結納の飾りつけの画像
沖縄式の結納の飾りつけ

 カワウソたちが行ったのは沖縄式の結納です。写真にあるのはそれに欠かせない「天ぷら盛」。
結び切りを模した「松風(マチカジ)」、黄金の腹(クガニワタ)を象徴する「サーターアンダギー」、白銀の子宝(ナンジャセイシ)を意味する「カタハランブー」を山盛りにするのが習わしだそうです。ちょっと下ネタ……!?

 形ばかりでも「儀式」をみんなで協力して完遂するのは、面白く充実した体験でした。結納を通し、結婚に際した心構えもお互い充分にできたので、挙式や披露宴は「もういいか」という雰囲気になりました。家柄や仕事上のしがらみもないし、友人や親戚をわざわざ呼ぶのも悪いし、ご祝儀はいらないし……。

そうして2人は結婚し、いつまでも幸せに暮らしましたとさ。

そうは問屋が卸さない

 しかし、これはぜんぜん考えが甘かった。「結婚しました〜! 大したことじゃないから気にしないで」と思っていても、冠婚葬祭は「いいね!」を押すだけに留まれない、「大したこと」の代表格なのです。
カワウソたちにも、思いのほか多くの親類縁者からお祝いの電話があり、ご祝儀やプレゼントを頂いてしまいました。それらを断るのは謙遜や遠慮ではなく、相手の気持ちをはねのける失礼な行為になってしまう。
お花やお祝いの品に囲まれながら、どうお返しをすればいいのかと調べると、「内祝い」として金品を贈り返すとか。カワウソにそんな難しいこと、わからないよ!!!!
とはいえ、金品だけのやり取りは味気ないので、折を見て挨拶がてら全国を訪ねようと決めました。嬉しく、楽しいことだけど、管理も対応も大変な結果になってしまいました。

さらに、義両親が「せめて食事でも」と親族同士の宴会を設けてくれました。カワウソ世代では挙式や披露宴を省略するのが当たり前でも、お婆ちゃん世代がとても寂しがったそうで、苦肉の策を練ってくれたのです。

 ただお祝いをもらい、宴会も全部用意してもらうアホの夫婦、爆誕……!

「決まりに囚われてはいけない」という思い込み

 たぶん、小規模でも結婚式を挙げて、まとめて親類縁者にお集まりいただき、お礼を述べ、お祝いを返した方がよっぽど分かりやすかったと思います。
カワウソたちは2人とも、世の中にある決まりごとや因習には、なるべく囚われないようにしようと考えていました。型にはまらず、自由な関係を築くのが当たり前だと思ってきました。

 それはそれとして、今回は型にはまった方が、楽だったのではないか? 今まで「型にはまる」という言葉から連想するのは、マンネリ、ありきたり、固定観念といったものでした。しかし、世の中にある“型”には、長い時間をかけて編み出された、お手軽時短術みたいなものも多いんじゃないだろうか。
誰にでも起こりうる出来事に備えて、先達が整えてくれた分かりやすい道をわざわざ避けて、藪の中に突っ込んでいたのかもしれない。

型にはまらせていただくという概念

 そこで思い出したのが、作家の町田康がWEB媒体で語っていた、歌舞伎の面白さに関する表現です。

「みんな結末も知ってるし、全場面の流れも知っていて観る。普通の考え方だと『先の分かっているものを観てなぜ面白いのか?』ということになりますけど、それは面白いんじゃなくて“気持ちがいい”んですよ」
松竹株式会社「歌舞伎美人」歌舞伎いろは連載「富樫佳織の感客道」第十三回

 この型を借りれば、結婚も「先の分かっているものに挑んでなぜ面白いのか?」ということになりますけど、それは面白いんじゃなくて“気持ちがいい”んじゃないだろうか? エッチな意味じゃなくて。
はるか昔に用意された型どおりのストーリーでも、自分が舞台に上がり、目の前で展開されると、フィールソーグッドなんじゃないだろうか。

結婚した後のことは知っている

 月日が経てば、今ほど仲も良くなくなる。お互いに老いて、衰えてゆく。絶対ケンカする。離婚するかもしれない。それぞれを何とか乗り越えたところで、いつか必ず死んでしまう。それでも、1度でもフィールソーグッドな日々があった事実は消えない。型どおりの分かりきった展開を味わいたい。

 世の中には確実に選択肢が増えているけど、必ずしも新しい選択肢が正解ではないと思います。型にはまる必要はないけど、オリジナリティにこだわらなくてもいい。おなじみの出し物が続くベタなパーティーも、愛おしくて楽しい。

 型を借りればいいと学んだとはいえ、披露宴的なものをやるのかどうか、実はいまだに決めかねています。チャペルやウエディングドレスは恥ずかしいなぁ。どうせなら、シチリア風のガーデンパーティーで、ビッグバンドの演奏と共にダンスをしようかな。もしくは古びたパブに集い、バイオリンやアコーディオンの賑やかな演奏の中で、ビールを飲みまくりたい。あるいは両家の父親にコサックダンスを練習してもらい、剣を振り回して「マムーシュカ」を踊って欲しい。お寺のお堂で太鼓を叩いて暴れ、採石場での大爆発をバックに歩き去りたい。
無駄に溢れるオリジナリティに苦しめられながら、上手くはまる型を探す毎日です。


(つづく)


Text/カワウソ祭

次回は<愛とはどういうものかしら―夫婦と親族の話/カワウソの結婚>です。
結婚後の悩み・問題といえば、義両親(姑・舅)など親族との付き合い。年末年始は特にそうですね。もちろん「家」同士の結婚なんてとうに昔のことですが、カワウソ祭さんはあえて「群れ」に合流するメリットを見つけます。

ライタープロフィール

カワウソ祭
山から降りて里にまぎれ、人に化けて暮らすカワウソ。
今月の特集

AMのこぼれ話