あの日、わたしは人生の川にフラッグを立てました/姫乃たま

 自分を好きになってくれない人や身勝手な人ばかり好きになり、不安定な恋愛関係に陥ってしまう女性たちへ。
「私は最初から私を好きじゃなかった」――自己肯定感の低い著者が、永遠なるもの(なくしてしまったもの、なくなってしまったもの、はなから自分が持っていなかったもの)に思いを馳せることで、自分を好きになれない理由を探っていくエッセイ。

永遠なるものたち017「人生」

少女が岩をジャンプしながら川遊びをしている画像

 あの時のことは、はっきり覚えています。私は靴下を履くのが苦手で、小学校に行く日の朝、ベッドに腰掛けて、このまま眠りたいと思いながら、抱えた片膝に顎を乗せて、くしゅくしゅにした靴下をつま先に引っ掛けたまま、ぼんやりしていました。
あと一息、ベッドから足の裏を少し浮かせて、靴下をくるぶしの上まで引っ張るのが、気の遠くなる動きに思えます。

 小学生の時、朝の支度ほどめんどうなものはありませんでした。なにせ最初から最後まで眠たいままなのです。
寝起きで気が進まない時の食パンはもそもそしているし、かと言って、朝のうちに食べておかなければ、お昼までにお腹が空いてしまう困ったものでした。ランドセルの中身を確認する時や、今日の服を選ぶ時もなかなかに大変で、しゃがんだまま少しでも気を抜いたら、後ろに転がってそのまま眠ってしまいそうです。

 そして一番に大変なのが、靴下を履く時でした。私の場合、顔を洗って、朝食をとって、忘れ物がないか確認しても、徐々に目が覚めるということがなかったので、靴下を履くためにベッドに腰掛けると(腰掛けなければいいのですが、もしかしたら何かが起きてこのまま眠っていいことになるかもしれません。本当は日曜日だったとか)、さあ大変です。

 このまま眠ってしまいたい気持ちと、それからもう少しで家を出なければいけない寂しさとも戦わなければいけないので、せめて布団の中がまだ暖かいのか確認しないように(そんなことをしたら終わりです)、動かずぼんやりするしかありません。

 それであの日、私は靴下を履きかけたまま、人生の川にフラッグを立てました。

 私の中で、人生は川をイメージさせます。どこから始まったのかわからない川を、どうやって乗ったのかわからない木製の小舟に乗って、気がついたら流れていました。川には友人も知人も、家族もいなくて、小舟には私だけが乗っています。それをイメージする時、私は私の目線ではなくて、小舟の先端より少し上のところから、自分と小舟を見下ろしています。だから、これから進む方向は見えていません。

 小学校四年生だったあの朝、どうしてそんなことをしたのか、私はその川にフラッグを立ててみました。幼稚園に通っていた頃から、急に随分と時間が経ったように思えたので、フラッグを目印にしたら、今度振り返った時に面白いと思った気もします。小舟はするすると進んでいって、小さな川にはためく赤い旗から、少しずつ遠ざかっていきました。
きっとこの瞬間も、あっという間に昔のことになるんだろうな。そう思って、靴下を履いたのを覚えています。

 あれから大人になるにつれて、ちょっとだけ賢くなったので、忘れたくない素敵な瞬間に、わざと何度かフラッグを立ててみました。しかし、何気なく立ててみた最初のフラッグみたいにはならなくて、ほかの思い出と同じように、時間が経つと忘れてしまいます。

 だから、奇妙なことですが、私が昔のことを思い出す時はまず、あの朝に靴下を履いていた瞬間に一度戻るのです。別に構わないけれどなんだか少しだけ、まぬけです。