一緒にいることも、離れることも選べる。大人になった友人との関係/姫乃たま

 自分を好きになってくれない人や身勝手な人ばかり好きになり、不安定な恋愛関係に陥ってしまう女性たちへ。
「私は最初から私を好きじゃなかった」――自己肯定感の低い著者が、永遠なるもの(なくしてしまったもの、なくなってしまったもの、はなから自分が持っていなかったもの)に思いを馳せることで、自分を好きになれない理由を探っていくエッセイ。

永遠なるものたち018「紫陽花と友人」

紫色のアジサイに手をのべて触れる女性の画像 Pexels

 取材を終えて出版社を出ると、雨が降っていました。編集さんからもらったビニール傘をさして、水道橋の駅前まで歩きます。日曜日のオフィス街はひっそりしていて、高架下の神田川だけがごうごうと流れていました。そこかしこに紫陽花がたっぷり濡れながら咲いていて、傘が下手な私も少しずつ、しかし確実に雨に濡れていきます。

 紫陽花って毎年こんなに咲いてたかな。

 雨宿りがてら、取材の文字起こしをしようと傘をたたんでカフェに入ります。それとも道ばたの紫陽花に気を掛けられるくらい、私も年を重ねたってことなのかしら。大きな窓のカウンター席に座って、熱い紅茶に口をつけながらそう思い直します。

 窓の外を次々と日曜日の親子連れやカップルが通り過ぎていきます。私の目には誰もが楽しげに映ったし、おまけにつま先が濡れていて、いまいち文字起こしに集中できません。停止ボタンを押して、ため息をつきながら背もたれに体を預けると、スパの入っているショッピングモールが目に飛び込んできました。スパかあ……。広々としたお風呂、ビール、サウナ、水風呂、休憩室……。心が〆切と休暇の間で揺れ動きます(嘘、もうほとんどスパに飛んでいた)。

 ノートパソコンの画面には、進まない原稿のウィンドウがすっかり小さくされていて、その横にさっきからやりとりしている友人とのメールが表示されています。スパで待ち合わせ、いいな。人と一緒なら、なんとなく自分が休むのも許されるような気がするし。
友人からの「準備したら適当に向かいます」というメールを見て、私はあっという間に席を立ちました。

 もうすぐ湯船に浸かれると思うと、濡れながら歩く心許なさも和らぐようです。しかし思えば、ひとりでここへ来るのは初めてなので、一向に入口が見つけられません。ずらりと並ぶ飲食店や洋服屋の中に、ようやくスパ専用のエレベーターを見つけた時には、全身がすっかり頼りなく濡れていました。しかしフロントでは半袖を着た店員さんがさっぱりと働いていて、湿気はなく、床も清潔に乾いていて、私はすっかり安心します。

 初めてひとりでフロントを通りました。ここに来る時はいつでも彼女が一緒で、お姉さんみたいに私の前を歩いてくれたものです。ある時ふっといなくなってしまって、いまはもう連絡がつかないけれど。
ソファでビールを飲んでいたら館内着に着替えた友人がやって来ました。さっきより強くなった雨が窓ガラスを叩いています。

「何年か前の夏によくデリヘルの待機所に寝泊まりしてて、店長とよくここに来てたんだ」

 最初にしてはあまりに突拍子もない会話に、友人は「家出少女みたいだね」と感想を言いました。
デリヘルの待機所に寝泊まり。私の思い出の中に見える光景と、私の言葉によって友人との間に浮かびあがった光景が違うものだったので、困惑した気持ちをビールで流し込みます。

 なんていうか、そんなに殺伐とした出来事じゃなかったんだ。もっと、なんて言ったらいいんだろう。私は自分の中の記憶に目を向けます。