大人になった私たちは、これからだって一緒にいられる

 あれから何年か経って、相変わらずワーカホリック気味の私は、限界まで疲れるとサウナに行くようになりました。サウナのいいところは行動が制限されて、働けないところです。暑さでそこまで深く物が考えられないところも。その後の水風呂も、風に当たってぼうっとするのも。
でも、人とサウナに入るのがこんなにいいものだというのは、この日の発見でした。相手に意識が向くから余計なことを考えなくて済むし、意識が向くといっても、その相手だって無言で汗をかいているだけなので何ということもありません。

 ただ時おり、お互いが汗をかいているのを確認しながら、たまに深く息を吐いてタオルで拭ったりしていると、なんだか笑えてきます。ふたりでわざわざ熱されたり、冷やされたりしているのもよく考えたら可笑しいし、どうしてこんな関係になれたのか、まだ友人でなかった頃のよそ行きな態度を思い出すのも愉快なことです。
友人って線引きが難しいけど、友人じゃない人とは少なくとも、こうして意味もなく会ってじっと汗をかき合ったりしないもの。

 休憩室を横切ると、完全に社会性を失った大人たちがパンダみたいにそこらじゅうごろごろしていて、二足でバランスを取って歩いている私たちのほうが無理のある感じがしました。ふたりでパンダになれるくらいのスペースを見つけて横になります。いつかは奥さんと過ごした場所で、彼女と過ごした日々には、まだ知らなかった友人と。

 あれから人妻デリヘルは閉店して、二人は別れました。奥さんは離婚後、デリヘル嬢もAV女優の仕事も辞めて音信不通になってしまいました。なんどもふやけるほど一緒にお風呂に入ったけど。

 雨で濡れた体はすっかり温まっていました。体が温まっているのと、つま先が乾いていることは幸福の絶対条件だなあ。眠ってしまいそうな体にいろんな言葉が思い浮かんでは消えていきます。
彼女とまた会う日は来るのかな。いま幸せでいてくれたらいいな。隣にいる友人と離れてしまう日も来るのかな。出会ってしまったんだから、来るだろうなあ。でも私たちは一緒にいようと思えば、これからたくさんの時間を過ごすこともできるわけで、それってなんかすごいな。

 本当は彼女を探し出してまたお風呂に入ることだってできるのです。でも私たちは大人で自由だから、一緒にいないことも選べてしまって、それをお互いに縛ることはできません。
それなのに一緒にいるのだと思うと、ふたりで天井を見上げているいまが切実に感じられて、でも友人には言いませんでした(だってなんか、ねえ)。

 その代わり後日、「今年は紫陽花がよく咲いてるよね」とメールをしたら、「なんかそんな気がしていた」と返信がありました。

Text/姫乃たま

次回は<骨折して、わたしは確実に違う人間になった。痛みのある世界を彷徨って/姫乃たま>です。
骨はもう折れたことのない骨には戻れない。異国の地で左腕を骨折した姫乃たまさん。大きな傷を負ってしまった姫乃たまさんが感じたこととは。