「自分の機嫌は自分で取る」に感じる違和感。それって一時的なものではないですか?

by Kenny Eliason

機嫌が悪いとき、本当に落ち込んでいるときに「自分の機嫌は自分で取る」と言われると心底腹が立つ。もうこの時点で自分で自分の機嫌を取れていないのだが、ムカつくんだから仕方がない。

私は「自分の機嫌は自分で取る」という言葉があまり好きではない。なんだそれ?という方に向けて言っておくと、人と会っているときは不機嫌な態度を取ったり、機嫌の悪い理由を察してもらったり、八つ当たりするのを辞めましょうね、ということである。

要は、人と会う際はできるだけ機嫌よくしているべきで、それはまあ概ね同意しているのですが、一人の社会人として常に機嫌よくいることや自分が機嫌よく過ごすために浪費したり行動に移すことを強いられている感じが気にいらない。見るからに不機嫌な人とか高圧的な態度を取る人は私だってもちろん嫌だし、ひとりでもいなくなって欲しいと思うのだが、言葉だけが歩き続けた結果、過剰な意味を持ち合わせてしまった感覚がある。

以前までは「機嫌よくいたいよね!」くらいの感覚で使われていたが、今や「大人だったら常に機嫌がいいのが当たり前。それが社会人の常識」くらいになり上がってやがる。

自分に自信が持てない

自分に自信が持てない。何を今更、という話だが、ここ最近は何をやってもダメな気がする。何の才能も持っていない自分が怖い。人に見放されるのも、周囲と比較して何をしてもうまくいかない自分の失望するのも怖い。

要は仕事があまりうまくいっていないということで、先日少し大きめのミスをしてしまって大変落ち込んでいる。多分、こういうとき自分で自分の機嫌を取って、高いバスソルトの入れたお風呂に入ったりネイルを塗り直したり成城石井で爆買いをしたりするんだと思う。

もともと自分に自信なんてないが、仕事に関しては別だった。私はどんな仕事をしているか明かしていないし友達でも知っている人のほうが少ないくらいなのだが、パズルを解いていくような楽しさがある。自分ひとりでは作れないものを、周囲の人と協力しながら積み上げていく。そのなかで自分がひとつのピースになって取捨選択をしながらつなぎ合わせていく。そういう楽しさ・やりがいが私の仕事にはあって、その意欲が自分の仕事に対する自信に直結しているのだと思っている。

その反面、責任がかなり重く、0か100しか選べない割に失敗すると会社のちょっとした損失につながる。常に綱渡りをしているような感覚があって、自分が精神的に弱いからかひとつダメになると全部がダメになってしまう。