「前と言ってることが違うじゃねえか」批判に思うこと。“恋愛してもしなくてもいい”世の変化に生きやすくなったから

だって人は変わるじゃないですか

by Adam Wilson

私はインターネットが大好きだ。中学生くらいからインターネット上で友人を作り、未だに付き合いがある人がいる。クラスメイトよりも家族よりも私のことを知っているであろう人もたくさんいる。そういう意味では、オンライン上でもオフラインでも私の人生はインターネットによってよくも悪くも大きく変えられてしまった。

長年インターネットを嗜んでいると、何年も前の発言を持ち出して「こいつ、昔はこう言っていたのにwww」「前と言ってること違うじゃねえか」と言ってくる全然知らない人たちが出てくる。悪口とか攻撃の類ではないのかもしれない。でも、私はその全然知らない人たちの発言に対して、なんとなく罪悪感を抱いていたし、言葉で刺される度に嫌な汗をかいているような気分だった。

しかし、最近は「そうですよ。だって人って変わるじゃないですか」くらいの気持ちでいる。主義・主張が死ぬまでまったく変わらないなんてここと、誰だって絶対にないと思う。時代の流れ、人との出会い、病気になって、色々な文化に触れて……たくさんの時間をかけて、気づいたこと・わかったことが無数にあって、人の価値観とか考え方は変わっていく。だから、「あいつは昔、こう言っていたのに」「なんで過去と発言が違うんだ」と言われても、気にしないでいいんじゃないかと思えるようになった。昔と言っていること・やっていることがまったく異なっている自分を受け入れられるようになった。

人って変わる。結婚した友達、子育てをする人、起業した知り合い、家と車を購入した後輩などを見ていると私って何も変わらないなと思うけれど、考え方や物の見方については間違いなくいい方向に進んでいると自覚できる。そもそも、主義・主張を変えること、考えて改めることは悪いことではない。少なくとも、私は言っていることが変わっていく人間ではある。そういう訳で、今回は私のなかで変化した主義・主張のいくつかを書いていこうと思う。

ひとりも誰かと一緒も、各々平等で楽しんでいる

まず、ひとりでの行動・活動はもう何とも思われない社会になりつつあると感じている。私はひとりで行動することに何も抵抗がない。食事も映画館もフェスもひとりで行く。中東もアフリカも「まあ、駄目ならすぐ引き返せばいいし」程度の気持ちでひとりで行った。単純にかなり運がよかったのと、当時は見た目が幼く10代に見られることもしばしばだったので、周囲の人が常に見ていてくれていたのだと今振り返ると思う。

少し前まではひとりで行動することに「寂しくないの?」「女の子なのに!」「何が楽しいの?」「彼氏作って一緒に行けばいいのに!」という言葉が付きまとい、なかなか理解されなかった。誰かと一緒でなければ何もできない、「ひとりです」と言う度に周囲から何かネガティブな反応が返ってくるのが嫌で嫌で仕方なくて、私はあらゆることを文章に書いてきているし、本だって出した。

私が東京に住んでいること、年齢を重ねて「若い女の子」ではなくなったことも大いに関係しているが、私の活動範囲ではひとりでいることに対して何の価値も持ち合わせなくなった。ひとりでご飯を食べている人は「一緒にご飯を食べる友達のいない寂しい人」ではなく「ただひとりでご飯を食べたい人」だし、ひとりでライブに行く人も「ひとりで楽しめる人」である。勇気ある人でも精神が図太い人でもなんでもなく、ただそこにいるだけの人だ。今の社会ではどんな楽しみ方をしようが誰も気にしなくなり、むしろ周囲の人に対して何かネガティブな印象を抱くことはタブーだ。ひとりだろうが誰かと一緒にいようが平等だし、それぞれの楽しみ方・感じ方があるという認識が共有されるようになった。そのため、私が今までさんざん書いてきたような「ひとりの楽しみ方」みたいなものを伝えていく役割は終わったと考えている。