でも、「恋愛はしなくていいんだよ」みたいな風潮も好きにはなれない

恋愛をしないと相手にとことん向き合う力が身につかない?

 by Ahmet Sali

年末に「恋愛をしないと相手にとことん向き合う力が身につかない」という旨の主張をインターネットで見かけた。「恋愛をしなければならない」という意図に感じた私はなんだかすごく嫌な気持ちになって未だに腹が立っており反論をしたいので、そのことについて書こうと思います。

恋愛が好きな人、異性と恋愛関係で何かを得た実感がある人は、すぐに恋愛関係を特別視し、それを入手できなければ人として何か欠けているのではないか?という論調に持っていきがちだと感じている。「自分にとって素晴らしく、意味のあるものだったから他者も同じ価値観であるはずで、この幸福感を味わってほしい。」……そのような思いがあるからなのか、恋愛をする気のない人/しない人に向かって「私はあなたに幸せになって欲しいと思っていて~」と言い出します。

私はいつも特別視しすぎんじゃないか?と感じます。恋愛関係だってただの人間関係のひとつにすぎないのに。たしかに楽しい一面があるかもしれませんが、だからといってなぜ他の関係より高尚であると称えられているのか私にはよくわかりません。自分のことを好きでいてくれるから?向き合ってくれるから?性欲が満たされるから?それがどうして他の関係よりも尊いものになるのでしょう?こう思ってしまうのは、私が他者ときちんとした関係を築けたことがないからなのかもしれないけれど。

たしかにパートナーとの恋愛をすることによって相手にとことん向き合う力がついたのかもしれません。しかし、恋愛を含めたあらゆる人間関係において得られるもの/得られなかったものって決して同一ではなく、相手が誰だったのかに大きく影響されることも多分にあると思う。

「何かを選択しなかった」人生は本当に価値がないのか

人の時間って平等だから。恋愛をしている人にとっては大いなる価値と意味を見出しているのかもしれないけれど、恋愛に割いた時間が大きい分、失っているものだってきっとあるはずなんです。一方、恋愛をしない分とことん人と向き合う力は身につかなかったかもしれないけれど、他に時間を注ぎ込んでいたことによって別の何かを得ていて、今の自分とは異なる考え方/価値観を持つ人格を形成していたのだと思います。

私は、こういうところが人間の面白く、奇妙で気持ちが悪く、愛すべき部分だと感じています。人は1度の人生しか生きられないので、何かを手に入れてしまうと「手に入らなかった経験」は得られない。欲しいものがすべて手に入ることはあり得ない。何に時間やお金、労力を割いて、何に興味関心を持って、どこまで行動に移すのか。多種多様であり、誰かとすべて同じということはあり得ません。手にできたものとできなかったものが同じ量だけ存在しているはずです。

「結婚したほうがいいよ」とか「子どもがいると楽しいよ」という糞みたいなアドバイスも同じです。それは主観でしかなく、結婚や子どもがいればいなかった生活は絶対に得られないし、果たしてどちらが幸せだったかなんて比較することは不可能です。そして「何かを選択しなかった」人生は本当に価値がないのかというと、絶対にそんなことはないと思います。

だから私は、恋愛を含めた大多数の人間が経験したことを手にしなかった人に対して馬鹿だとも愚かだとも感じない。その人にしか理解できない経験や感覚、思想があるのだと思います。