人はひとりで生きていけないから余計に面倒くさい。高校時代に懐かれていたメンヘラとの思い出

依存されることに意味を見出していた頃

by Siora Photography

最近になって、学生時代に猛烈に懐かれていたメンヘラ美少女が夢に出てきた。なぜ今になって……と思ったのだが、周囲の人との関係性や自分の人との関わり方について考えているときに、ふとこの人のことを思い出して、もう卒業して何年も経っているのに私の人間性って何も成長していないんだなと自分自身にうんざりしたんだっけ。

ちなみに、私は小・中・高時代の友達で今もつながりがある人はひとりもいない。フジロックの度に「会おうよ!」と連絡をくれる高校時代の元クラスメイトがいるが、なんで今更? 話したいことはあるか? 会ってどうするのか? を考えたとき、特に自分のなかでそれらしい理由が見当たらないので、毎年のように保留にしている。それ以外の人はFacebookで繋がっているくらいで投稿も目に見えて減っているのでどこで何をしているのか、知らない人ばかりである。

懐かれていたメンヘラもどこで何をしているのか知らない。ピアノの先生になりたいと言っていたから音大とか音楽の専門学校に入ってそれらしい感じで働いて、それなりに暮らしているのかも。私のことを思い出す暇もないくらい。思い出さなくていいし、思い出したところで、連絡を取ったり会ったりすることもないと思うが。

懐かれていた当時、腕を切っては写真を送ってきて、頻繁に連絡を寄越してきて、夜中に電話がかかってくることもあった。精神科にも通いながら処方された薬を飲んでいたんだっけ。両親と折り合いがつかないんだっけ。昔のことで忘れてしまった。女子特有のグループは違っていたが、なんとなく趣味も似ていたし、それなりに仲はよかったように思う。でも、そのあとクラスが変わって廊下ですれ違うことも挨拶をする機会もなくなって、そのあと彼女に彼氏ができたり別れたりしているうちに連絡を取らなくなって今に至る。あれだけ依存されていたのに、卒業してから一度も連絡を取っていない。人間関係ってそういうものなのかもしれない。

当時を思い返すと、私も私で依存されることで面倒見のいい自分とか必要とされる自分に意味を見出していたのだと思う。彼女の好かれている自分が好きだったし、少なからず憧れに似た感情を持たれていることに対する優越感に浸っていた。具体的にどんな会話をしたとか、なんで仲良くなったんだっけとか、肝心なところは何も覚えていないのに、感情の部分だけは強烈に記憶に残っている。