ひとりで生きていけないから余計に面倒くさい

私は、人間関係はお互いにメリットがないと続かないと思っている。当時はそんなこと何も考えずに人と接していたけれど、あの頃の彼女にとっては私が私である必要もなく、自分の話を聞いてくれる人であれば誰でもよかったんだろうなと思う。だから、恋人ができれば依存先はそちらに移行するし、距離が遠くなれば手放す。お互いに物理的な距離もできてしまえば、気にかけたりもしない。私の人間関係ってほとんどこんな感じだなと思う。

人は基本的に誰かに話を聞いて欲しいと思っているし、特別扱いをされたい。自分の悩みや考えに共感されながら、決して間違いではないと肯定されたい。だから占いもホストも情報商材も宗教も流行るのだと思う。振り返れば、私は常に聞き役に回っていることが多く、逆に自分の仕事や家族、生活の話は開示していない。誰かに自分のことを理解して欲しいともあまり思わない。だからこそ聞き役として誰かに選ばれ、私の浅く広い人間関係は続いていくのかもしれない。否定せずに話を聞いてくれる人を選んだ際、偶然そこに私がいるだけ。私が私でいる必要はない。代わりなんていくらでもいる。

よほど特異な悩みでなければ、ネットを検索すれば同じような考えを持つ人は山ほどいるはずなのにYahoo!知恵袋に絶対にある悩みを相談され、在り来たりな相槌を打つ。解決しない話に頷づき、答えのわかり切っている話に共感を示す。この馬鹿らしい工程も人付き合いとか人と仲良くなるためのコミュニケーションの一環で、いつも私はその人と関係を続けるために必要なやり取りのなかに組み込まれる度、逃げ出したくなる気持ちになる。一体なんなんだろう、このやり取りは。いくら話を聞いたところで、私が本当に悩んでいるときに助けてくれるか・話を聞いてくれるのかは全くの別問題で、肩透かしを食らったことが何度もあるからである。

人って面倒臭い。でもひとりで生きていけないから余計に面倒臭い。メンヘラもそうでない人も、他人をうまく利用している事実に目を背けながら、なんとなく生きているのだと思う。

Text/あたそ