「自分を大切にした方がいいし、心から愛せた方がいい。故に、自分を大切に愛してくれる人と一緒にいた方がいい。それが友人でも、恋人でも」
全くもって正しいし、人生の中でとても重要なことだ。頭痛がするほど知っているのに、時々、自分をめちゃくちゃにしたくなる。全部ぶっ壊してやるよって、苦労して積み上げた積み木のお城を土台から薙ぎ倒したくなってしまうの。わかってくれる人がいるのかどうか、今の時点ではわからないけど。自分を愛せ愛せうるせえな、大切にしないっていう逆セルフケアがあってもいいだろこの野郎、と思ったことがあるあなたへのコラムです。
自己肯定感に首を絞められる
最近TikTokを見ていたら、海外で「ガールセラピー」なるものが流行っていることを知った。女の子たちがたくさんの化粧品に囲まれてうっとりしてたり、キャンドル焚きながら半身浴してる動画で、そんな風に「素敵なもの」に囲まれて過ごすことで自分を癒すんだって。この流行には「結局富裕層にしかできないじゃん」とか「消費の権化かよ」っていう批判ももちろんあるし私も感じるんだけど、今は一旦置いておいて。「女の子はお砂糖とスパイスと素敵な何かでできている」ってマザーグースの歌の通りに過ごすことがセルフケアになるって考え方には大きく頷く。なんかいいよねそういうの。わかるわかる、自己肯定感高まりそうだし。お砂糖とスパイスと素敵な何かを摂取することで、自分自身がそれでできているって感じられること。結果自分のことをもっと好きになれること。最高だなと思う。だけど、その高まった自己肯定感に首を絞められることもある。
私は自立した、素敵な女性だから、このくらいできる。私は強くて、能力がある女性だから、もっともっとできる。そんな風に自分を信頼できることは一見幸せなことだけど、向上心に終わりはない。「最高」ってのはとめどがなくて、満足の後には必ず、高い期待が首をもたげる。愛を燃料に行われる自己実現レースは先に進めば進むほど、孤独で過酷なものになっていく。こんなに自分が好きなのに、もう終わりにしたいと思ってしまうこと。自己肯定感が上がれば上がるほど生まれる不安。その正体はなんだろう。
私への愛情を失うのは難しい
自分を幸せにしたいとか、愛したいって欲求、もはや疲れない? マジどうでもいいよ自己肯定感とか、ドブに捨ててやるよ。そう思っても、一度掴み取った自己肯定感はなかなか失えない。自分を大切にする癖ってもんが、幸か不幸かついちゃってるのだ。自分のこと、雑に扱ってしまいたいのに、気付いたら飲んでるビタミン剤。きちんと歩いている帰路。辞めることができない努力。向上心と縁を切りたい。それができないのは、今に満足してないからなの? とかって、きちんと思考してしまうのも自分への愛だ。私は私のことを、一生懸命考えてしまう。そのことにほとほと疲れてるっていうのに。
愛情を失うのって、ものすごく難しい。夜中にふと元彼のインスタ見ちゃうみたいに、自分の機嫌を取ってしまう。そのせいで「明日も頑張ろう」って言い聞かせて寝る羽目になり、今日も頑張る自分にがっかり。捨てちゃおうぜ自尊心って、そこにいるナンパ男を見つめたところで、私に備わった良識と愛が邪魔してただ立ちすくむ。
これは、幸せなこと。私は幸せであるって、言い聞かせるのに疲れた。幸せなのに失いたがるなんて変だとか、努力できる環境に感謝して努力を続けようとか、そういう正しくて素晴らしい考えを手放すにはどうしたらいいだろう。どうしたら、セルフケアをやめられる?
- 1
- 2