もうひとつは、結婚生活というものに関しての、互いの考え方やスタンスの違いが、いざスタートしてから発覚することもあるということ。
「結婚した以上、理想の家庭を築きたい」と思うのは当然でしょうが、その望みが相手にとってはストレスになる場合もある。
例えば、「週末は一緒に過ごすのが当然だから、一緒に楽しめない趣味は辞めて欲しい」という要求だったり、「結婚したんだから、異性の友人の連絡先なんてもういらないよね。消して?」までいくと少し息苦しい。
「震災以降、徒歩で帰れる10キロ圏内までしか外出不可」を課せられている友人がいますが「よく守れるな、それ」といつも思っています。
しかし、その要求をのむことを、「結婚して、落ち着いたね」と世間では正義のように言われる風潮もある。
「フツーは結婚したら……」の枕詞で自由を奪われる際に“性格の不一致”をこれまた感じることになります。

これを避けるために、結婚相手として、パートナーに自分の望みを託す人を選ぶのは避けろ……と言いたいところなのですが、しかし、結婚して、互いに自由でいすぎるのもこれまた問題があります。
とにかく金が溜まらないし、相手の浮気問題が浮上する可能性も高い。
だから、いざ生活を始めたものの、いつまで経ってもフワフワとしていることに不安を覚えて「やっぱり結婚したんだから、きちんとしよう」とスタンスを変えると「結婚したら妙に支配的になった」と“性格の不一致”が生まれる。

性格の不一致のというたった六文字の言葉の裏には、これだけの要素がギュッと詰まっているんです。
結婚して幸せであることって、本当に大変です。
それでもわたしは結婚を勧めたい。
その理由は来週のコラムで。

…次回は《「きちんとした幸せな家庭」の行き先が離婚だとしたら》をお届けします。

Text/大泉りか

初出:2016.02.27