「きちんとした幸せな家庭」の行き先が離婚だとしたら

結婚してから気が付くことあるある?

夫婦の影 Skyggefotografen

先日、長年の付き合いになる友人たちと飲む機会があったのですが、男友達のひとりが先月末に離婚したとのサプライズ報告があり、たいへん盛り上がりました。
理由は“性格の不一致”
結婚して以来、お小遣いが一万円だとか、妻が自分の母親に子供を抱かせてくれないだとかは、「自分が選んだ相手だから仕方がない……」となんとか耐え抜いてきたものの、一年間口を利いてくれないことに心が折れたとのこと。
どう考えてもモラハラすぎるだろって話なんですが、しかし真面目な性質の男性ゆえ、妻と子供を世間に放りだすことに悩み、なかなか別離を決意できなかったそうです。

その日、もうひとつ考えたことがあります。
それは結婚って多くの人にとって、“きちんとした幸せな家庭”を築くためのものなんだなっていうこと。
そして、その“きちんとした幸せな家庭”というものは意外とベタだということ。
人様の幸せをベタ扱いするなんてちょっと無神経だとも思うのですが、具体的には“子供”と“持ち家”。
というのも、その場にいるわたし以外の全員が子持ちで、将来は地方にある夫の実家に帰る予定のある人以外はみなマイホームを買い済みでした。

そういうことを含めて、その男友達の、妻の気分になって考えると、また違う景色が見えてくる。
家を買ってローンを抱えている以上、夫の小遣いは出来るだけ減らしたいし、自分にとっては血のつながらない部外者である姑に子供をあまり関わらせたくないと考えてしまう気持ちもわからないではない(自分を母として先輩だと自負している姑ならなおさらのこと)
そして自分たちの老後と子供のことを考えて、生活の舵を取っているというのに、どことなく不満を抱えていそうだったり、ひとごとの雰囲気のある夫に腹が立ち、口を利きたくなくないっていう気持ちも理解できる。