女流官能作家とは
つい先日、花房観音さんの『黄泉醜女』という本を読み終えました。治りかけの疵の瘡蓋を無理矢理に剥がすような、痛気持よさにページをめくる手が止まらず、気が付けば、掻き壊した瘡蓋から流れる血と、そのヒリつく痛みに茫然としながら最後のページを閉じていました。
あらすじをご説明いたしますね。
婚活連続殺人事件で死刑判決を受けた「春海さくら」。彼女はその醜いルックスで、世間の注目を浴びた一方で、多くの女たちの興味をも深く引く存在にあった。そんな「さくら」に魅せられたふたりの女、42歳の女流官能作家・桜川詩子と、36歳の美人フリーライター・木戸アミは、事件のノンフィクションを書こうと取材を開始する。
だが、さくらが男たちを殺めた真相を探るべく、さくらに関わった女たちに話を聞いていくうちに、詩子の、アミの、女たちの嫉妬と劣等感とが浮き彫りになっていく――
女のドロッとしたところって、「見たいけれど、見たくない。でも見たい」っていう欲を熱烈にそそるんですよね。普段は見て見ないようにしている。けれど、被虐的に本心のどこかで見たいとも願っている自分の“劣等感”と“嫉妬”の在り処を探るようでもあり、とても読み応えのある作品でした。
さて、わたしはおそらくこの本を、“最も楽しんで読める読者のうちのひとり”ではないかと思っています。なんてこと言うと「おこがましい」と作者に鼻で笑われるかもしれませんが、しかし、わたしはこの本の一部をある意味“自分の話”として読みました。
どういうことかというと、主人公のひとりである桜川詩子の職業は、わたしと同じ“女流官能作家”であり、そして著者の花房観音さんも、元は官能小説の賞を獲ってデビューされた“女流官能作家”。そして、この作品の中には、“女流官能作家”と官能業界とを、「内側の立ち位置」から観察した描写および考察が事細かにあったからです。これ、好奇心が刺激されないわけがない。
さて、このコラムを読んでくださっている方々が、“女流官能作家”というものにどういったイメージをお持ちであるかはわかりませんが、この本の中で記されている“女流官能作家”は、こうです。
同業者の会合では酌をしてまわり、「水商売をやってたんで」と愛想を振りまくだけではなく「彼氏と上手くいってない」と営業のような電話をかけ、自らのホームページでは露出の多い写真を使い、つねに「エロくていやらしい私」を発信し、男性作家に笑顔でしなだれかかる写真をSNSにアップしたりしている――とあります。確かに、まったくもって、わたしも見たことのある風景です。それどころか“している側”といっても過言ではないでしょう。
作者の方とは(たぶん)宴席をご一緒させていただいたことはありませんが、「どこかから、覗かれていたかな」と思うほどです。
しかし、これはあくまでも創作であるという前提があって、そして、創作に口を出すのは野暮であるとわかった上で、わたしはどうしても言いたいんです。
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