「女流官能作家」の世間のイメージに物申す

 実際のところ、同業者の会合って、会社の飲み会のようなもの。で、女流官能作家の多くは、まだ新人もしくは新人に近い立場の者が多く、ゆえに性別は関係なく、先輩方の席を回って酌をしながらご挨拶くらいはする。これって、社会人の常識ではないでしょうか。
最も、気を遣ってくださる諸先輩作家の中には「お酌なんてしなくていいよ」といってくれる方もいて、「水商売やってたんで」に関しては、その人に「慣れてますから気にしないでください」という返しではないかと思うし、さすがに「彼氏と上手くいってない」の電話はわかりませんが、本当にそんな電話を男性の作家にかけている人いるのかな。モデルがいるとしたら気になります(笑)。

 ホームページというかツイッターのアイコンは、わたしはモロに下着姿の画像です。自分の美意識に叶っていて、かつエロい格好を人様に見ていただくのが実際のところ好きなので、自分では非常に気に入っていますが、男性にとってはおっぴろげすぎてエロくないんじゃ……と思ってもいる。さらには、男性作家にしなだれかかっている姿も、たまにSNSにアップしていますが、それは男性で作家だから距離を近くしているわけではなく、女性であっても、そして、作家でなくとも写真を撮る時には、ギュッって近づくことに慣れていて、意識さえもしていなかった。

 そもそも、先輩の男性作家に“女”を売ったところで何もないんです。仕事をくれるのは編集者の方々であって、作家にはそんな権限はない。そして編集者に“女”を売っても、相手にはしてもらえない。売るのは“女”ではなく、どちらかといえば“人間”ではなかろうかと。その“人間”に“女”が含まれてしまうのはデフォルトなので仕方がないかもしれないけれど、そこには出来る限り抗いたい。そのために出来ることは、相手を“男性”ではなく“人間”として意識して接することです。

 と、ひとつひとつ状況を説明していくと、こういう感じなんですが、でもまぁ、見る人が見れば『女流作家は女を使い、男性作家にすり寄っている』という状況に見えるのかもしれません。けれど、わたしに見えていたのは、違った景色です。きっとそれは、景色を見つめる距離と角度の問題なのだと思います。同じ景色であっても、わたしから見えているものとは色合いが少し違うことに、「作者からは“女流官能作家”って、ひょっとして、こう見えてるのか!」と好奇心を刺激されたわけなのですが、この景色、官能業界には限らず、“立場が上の男性と、下の女性が集う場”であれば、どこにでも見られそうです。

 そういう場に身を置いた場合、貴女は、その景色からどんなストーリーを読み取るのでしょうか。

…次回は《結婚したセフレと別れたセフレの決定的な違いは?私たちが夫婦になった話》をお届けします。

Text/大泉りか