30代半ば、恋愛や結婚に悩まなくなった。「嘘でもいいから明るく生きようよ」

by Artem Beliaikin

個人差があるので30代半ばの独身女性は全員こうだと言いたいわけではないけれど、私に限った話で言えば、自分はもう、恋愛や結婚について思い悩むことは見栄ではなくほとんどゼロになったと言っていい。もちろん「結婚」や「出産」というワードに心がざわつくことはあるのだけど、それは「私という人間が女性としては誰からも選ばれなかった寂しさ」とか、「やっぱり家族がほしい」みたいな理由からではない。

こういった話題を見かけてときに落ち込むのは、「いまだに独身女性が人間的に未熟であると見なされている気がしてしまう」とか、「子育て経験のない人間のことをわがままだと思われている気がしてしまう」とか、「独身であることを差別しないでほしい」という方向に向いている。とにかく偏見さえ持たないでいてくれたら、私は自分の仕事を本業・副業ともに気に入っているし、あとは本と映画とマンガと、今は時勢的に難しいが旅行さえあれば、無限に楽しく時間を過ごせる。「パートナーがいないと寂しくないか」と突っ込まれることもあるけれど、「結婚していない」は必ずしも「パートナーがいない」とイコールではないので、個人的には別に問題ない。

では、そんな30代半ばの独身女性である私は、最近主にどんなことで悩んでいるかというと……この連載の中でいうのはちょっと反則かもしれないけど、「どうしたら自分はより良い文章が書けるのか」が、ほぼ悩みのすべてを支配している。どうしたら読む本や観る映画のことをもっと深く理解できるのか。どうしたら自分の解釈や考察をより面白く、より多くの人に届けられるのか。どうしたら、もっと洗練された表現を使いこなせるようになるのか。

自分自身の性格やコンプレックス、恋愛や結婚に悩む時期を良くも悪くも乗り越えてしまったわけだけど、そんな年齢になってから読んだジョン・アーヴィングの『ホテル・ニューハンプシャー』は、胸に訴えてくるものがあった。今回はそんなわけで、ちょっと自分語りが多くなるけど、この小説について語らせてもらいたい。

嘘でもいいから、明るく生きようよ

『ホテル・ニューハンプシャー』 は、とある一家がホテルを経営する物語である。語り手は、一家の次男であるジョン・ベリーだ。ゲイである長男のフランク・ベリーが学校でいじめにあったり、長女のフラニー・ベリーがフットボールチームの少年たちに輪姦され心に傷を負ったり、その上でホテルの経営が傾いたりと、物語の中で一家はさまざまな不運に見舞われる。と、あらすじをすごく簡単にいうとこうなるのだけど、不運を過剰に不運として描かないというか、映画版『ホテル・ニューハンプシャー』の言うように、「人生はシリアスでハードワークだが、嘘でもいいから……明るく生きようよ」と、なぜかカラリとしている。その描き方は、問題を過小評価したり、意味なく楽天的だったりするわけではない。「どんなことがあっても前に進む」という、力強さを感じるのだ。

個人的にぐっとくるのは、この小説の中でたびたびスコット・フィッツジェラルドの『華麗なるギャツビー』が引用されていること。ベリー家の兄弟姉妹たちが、この小説のラストの一節について語り合っている場面が特に好きだ。私がもともと『華麗なるギャツビー』に入れ込みすぎているというのはあるのだけど、フィッツジェラルドも『ホテル・ニューハンプシャー』も、年齢を重ねることや過ぎ去った時間を思うことを、美しく、物悲しく描いていると思う。加齢をネガティブに捉えすぎることには決して肯定的になれないし、「いつまでも若くありたい!」みたいな欲望は、行きすぎるとどうかと思うことはある。だけど、フィッツジェラルドや『ホテル・ニューハンプシャー』は、人生の途中で後ろを振り返ることを、そっと許してくれるような気がするのだ。

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