モテ感がないのになぜ愛されるか

 だが、ふたりの彼氏から見たA子はまったく違っている。
まず、自ら「市井の男前」を名乗り、出会う人をみんなメロメロにしてしまうA太郎は、平気で浮気をするような男のくせに、A子のことはいつも特別視している。

 「君は僕のことそんなに好きじゃないから」好きなんだと語るA太郎を見ていると、モテすぎる男には、まあそういうこともあるかな、見た目で判断されてすぐ惚れられるのもなかなか辛いよね、と思ったりもするが、本当にそれだけでいいなら、他の人でもいいはずだ。男にのめり込まないタイプなら、とりあえず合格なんだから。

 おそらく、A太郎の本音は「僕は/君みたいになりたいんだよ」という言葉に表れている。淡々と自分の人生を前に進めてゆくA子の人生に、A太郎は憧れているし、「君が好き」「君を愛してる」なんて言葉よりも「君みたいになりたい」はずっとずっと思いが強い。そこには男女であることを超えた、人間としての尊敬の念がある。だからA太郎は、3年間も自分を放っておいたA子をいまだに好きでいるのだろう。
可愛い子、美人な子、心の綺麗な子……魅力的な子はいっぱいいる。でも「なりたい」と思える子はそうそういるもんじゃない。だからA太郎は彼女にこだわるのだ。

 一方、ニューヨークのA君は、理知的すぎるというか、底意地が悪いというか、見る人によってはとっつきにくい印象を与える男であり、A太郎とは真逆のタイプである。しかし、A子に対しては特技の「甘やかし」を発動し、とにかく彼女が快適に過ごせるように、というか、油断するように仕向けるのを喜びとしている。彼は、恋人の目をあまり意識せず自由にふるまっているA子を見るのが好きなのだ。
 
 じゃあ、A君がA子をお姫様扱いしているだけかというと、そんなことはない。フリーの翻訳者である彼は、A子とはクリエイター同士であり、彼女の仕事ぶりを「真摯」「そういうところ/いいとおもいます」と評価している。 先ほども述べたように、A子は淡々としてはいるけれど、その分着実に前進してゆくタイプ。粘り強く仕事に取り組むその姿勢を、A君は心密かに尊敬しているのだ。