恋愛強者はいつまでも強者

百瀬、こっちを向いて。狗飼恭子 映画脚本 小説家 スペシャルインタビュー

――百瀬自身の15年後はどうなっていると思いますか?

狗飼: 脚本にも書いたのですが、百瀬の15年後は髪が長いと思います。それはまだ恋を引きずっているから。
このお話の原作をすごいな、と思ったのは、恋愛強者はいつまでも強者なところなんですよ。
恋愛目線で見ると、高校生時代の恋愛のヒエラルキーというのは、30代前半くらいまでずっと変わらないものなんだなっていうことが描かれている気がするんです。
なので、この映画のラストの時点では、恋愛弱者だったキャラクターはまだ恋愛弱者のまま。映画が終わって、その先のストーリーでやっと恋愛弱者から抜け出せるんじゃないかな、と思っているんです。

――今も高校時代の恋愛観を引きずっている気がしてきました。

狗飼: 30歳前半くらいまでは、高校時代にモテた人がモテるんだなって思うんです(笑)。
ただ30代後半になってくると、高校時代にモテてきた人の「モテ貯金」が底をつくのが見えてくるんですよ。それまでに結婚をしたり、子供ができたり、幸せな家庭を育んでいる人はいいんですけど、「まだまだいける」と思っていると、30代前半、30代半ばと年齢があがるにつれて、高校時代にモテていた人ほどモテなくなります。
逆にモテなかった人がモテるようになるので、みんな頑張って!(笑)。頑張ればいつか時がくるから。

――百瀬は家族に愛情をたくさん注げて、家庭的で、とてもいい子だと思うんです。
友人でもいい子で面倒見のいい子ほど、二番目扱いされてしまうような気がするのですが、それは何故だと思いますか?

狗飼: 私が思うに、二番目になってしまう女性は、本命にされる女性たちよりも愛情深い気がするんです。人をいっぱい愛したい人なんですよ。
普通の恋愛って、恋愛に使うエネルギーが100以内で収まるんですけど、他に相手がいる人だったり、叶わない恋愛をしている時って100じゃ恋愛力は足りなくて、どんどん自分から愛情を出していかないといけないじゃないですか。
叶わない恋だからこそ、愛をたくさん与えることができるんです。

でも普通の恋愛において200の愛を与えてしまうと、相手の男の人が重いと感じるか、ダメになるかどっちかなんですね。他に相手がいるということは自分が投げた愛を全部は受け止めてなくて、スルーしているわけなので、彼自身は潰れないですよね。

二番目になってしまう女性は、愛が大きい人なので、それはすごく素敵なことだと思うんです。
ただ、それが嫌なんだったら、恋愛以外に夢中になれる何かをどうにかして見つけて、恋愛には100の愛情以内に収めるようにテクニックを覚えるしかないのかなと思います。

――愛情が大きいというのは、育ってきた環境に影響されやすいのでしょうか?

狗飼: 単純に体力があるとか、ご飯をたくさん食べるように、資質の問題のような気がします。
でも、中には後天的な人もいるとは思います。例えば、幼稚園のときに自分の大好きな女友達が他の子としゃべっているのが許せなかったとか、大好きなお人形を他の人に触られたくなかったとか、そういう子たちが愛情過多になりがちな人かも。
だから、もしも愛が大きすぎて困ってしまう人は、皆を平等に愛さなくてはならない学校の先生とかになるといいと思います。
実際、百瀬役の早見あかりちゃんも、「子どもが大好きで保育士になりたかった」と言っていたので、百瀬に通じる愛情の深さを元から持っていたんだろうなって思いました。

――二番目になっている友人がいたら、なんて声をかけるのがベストなんでしょうか?

狗飼: 「そんな人止めなよ」、「あなたを幸せにできないよ」って言っても全く届かないですね。彼女たちは愛情が深くて、困難があるほど私が彼を愛してあげなきゃって思ってしまうので、「二番目でもいい」という人が多いと思うんです。
だから、「あんまり我慢しなくていいよ、自分の欲しいものを欲しいって言ってもいいんだよ」って言ってあげたいですね。

百瀬も恋敵である神林さんに好かれる必要は全然ないのに、大好きな宮崎先輩を困らせないために笑顔で接して、強い子だなと思うと同時に、可哀想だなと思いますね。