時を経て褒め言葉に、そして新しい常識へ

ひと昔前までは「ひとりで生きていけそうだよね」という言葉は、半分くらい……いや、それ以上にマイナスの意味を持った言葉であったように記憶している。だって、ほんの10年20年前までは、女性の幸せは「結婚して出産をして家庭に入ること」と決まっていたし、結婚のできない女性は「負け犬」扱いだった訳で。その価値観の中では、私のような気が強く、まったく隙のない女はあまり歓迎がされない。男性からだけではなく、女性からも「ちょっと可哀想な奴」として扱われていた。

その、少し前の時代の価値観を私のなかからきれいさっぱりと消すことができなかったのだ。だから、言葉の裏側に込められた意味を勝手に想像してムッとしてしまったのだと思う。

思えば、「男性に選ばれることが幸せ」という意味が隠された言葉は案外その辺に転がっている。「女性らしい」とか「清楚」とか、場面によっては「家庭的」とか「気が利く」の言葉の裏にもうっすらと潜んでいる。褒め言葉だと思っていた色々な言葉を突き詰めると「男性ウケがいい」という意味が透けて見えて、つまりそれは男性にとって都合のいい・扱いやすい女性を指しているように思えてくる。

あれ? やっぱり別にどうだっていいんじゃないか? だって男の人にウケたいと思っている訳でもウケる要素がある訳でもないし、そしてその逆方向へと思いっきり突き進んでいるとよく自覚しているのだから。

それなのに、インドから帰国した私に「すごいね~どこに行ってもひとりでなんだってできちゃうね~」と言う、仲のいい同僚に少しムッとしてしまった。ひとりで生きていけることの何がいけないんだろう、私の目指していた場所でもあったはずなのに、と。でも、感情表現豊かに話しかけてくれた彼女の人柄や私との関係性からそこには嫌味が少しも含まれておらず、マイナスの感情を抱くのははじめのうちだけで、よく考えればやっぱり言われて嬉しい言葉であるように思う。

言葉の意味は変わっていく。人や世の中の常識、社会の普遍も同じくらいの速度で変わっていく。「ひとりで生きていけそうだよね」も、時代を経て思いっきり誉め言葉になっているんじゃないだろうか? ということに、やっと気がつくことができた。それと同時に、日々変化していくさまざまな出来事を柔軟に享受しつつ、自分自身もアップデートしていかないと、いつの間にか「老害」やら「お局」と呼ばれるような存在になってしまうのかもな……と思ったりもする。

Text/あたそ

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