ずっと寂しかったし、助けてほしかった。文章を書くことで自分を支えている

桜が満開を迎えたというのに、ずっと家に引きこもって文章を書く日々を送っている。

平日は8時とか9時に仕事をはじめて12時間くらい働いたあと、ごはんを食べて少し鳥と遊んで23時くらいまで文章を書いてお風呂に入って1時間くらい読書をして就寝。土日もできるだけ遊びの予定を入れずに、掃除に洗濯、作り置きをまとめて調理する以外の時間はほとんどデスクで何かしらの作業をしている。
3月までは本職も繁忙期で忙しくてやってもやっても仕事が終わらない。更にそこに異動のための引継ぎ準備もあり、異動先の仕事量も増えていき、それなのに執筆の仕事は増える一方で毎週何かしらの締め切りに追われていた。まあ、ありがたいことではあるんだけど。毎日、常にオフィスチェアに座り続けている。

花見はした。嘘、あれは枝見だった。酒を飲むちょうどいい口実が欲しかっただけで、羽根木公園で昔からの友だちに久しぶりに会ったり、初対面の女性にSHINeeのKEYくんの素晴らしきTOP OF アイドル具合をオタク特有の早口で熱弁したりしていた。楽しかった。

それ以外は本当にずっと家に引きこもっていて、私って本当に何をやっているんだろうね?よく発狂せずにいられるよね。春なのに。時間だけは平等で、周囲の人間は大切な誰かと過ごしたり、スキルアップのための勉強をしたり、趣味に費やしているのに。私だけ、たったひとりで、ずっとPCの画面に向かって何かしらを書き続けている。

文章を書くこと自体が私にとっては救い

別に、文章を書くことが好きなわけでも将来的に何か意味があるとも思えないのにさ。なんで、こんなことを続けているんだろうね。
そういえば、もう人生の半分以上、mixiやらブログやらで自分の気持ちや日々の行いを表明する行為を続けているんだな。私は。ずっと寂しかったし、助けてほしかったんだと思う。誰かと話がしたかったのに、どうやって接していいかわからなくて、自分の存在に気付いてほしくて、文章を書き続けているんだと思う。それは今も変わらない気がする。その結果として、こんなに面倒臭くてどうしようもない性格になってしまったんだけど。

私は人と関わるのがあまり得意ではない。今でこそ付き合いの長い友だちが増えつつあるし色んなことを話しても許されるんだと気付いて、自分が本当にしたかった話ができるようになりつつある。
恋愛とか仕事とか、日常であった出来事とか、そういう表面的な話に私は本当に興味が持てない。どうしてみんなこんなに答えのわかりきった/人に言っても意味のない話をするのだろう? と思っている一方で、なんとかその社会の規範に自分を当てはめながら相手にとって価値のある人間だと思ってもらえるように振舞う、というのを繰り返していた。だから、深夜にいきなり電話をしたり、本当に悲しくてどうしようもないときに本音で会話ができる友だちという存在が私にはいない。今もそうなんだと思う。ほかでもない、私のせいだ。相手に少しでも寄りかかりたくないし、これ以上迷惑な存在でいたくない。誰も困らせたくない。そういう気持ちが心のどこかにある。変えていきたい部分ではあるけれど。

誰にも言えない感情や言葉が頭のなかに溢れているとき、私はいつも文章を書く。他の人が他者とのコミュニケーションで満たしている感覚を、自分ひとりだけで解消させる。振り返ってみると、他人への頼り方や寄り添い方がわからなかったから自力で解決策を模索するしかなかった気がする。そういう意味で、文章を書くこと自体が私にとっては救いなんだと思う。