人は変わる。余裕のない時、立場が変わった時「配慮できない自分」にはなりたくない

尊敬している人の嫌な一面を見たとき

by Михаил Секацкий

やっぱり、生きていくうえで一番難しい問題って常に人間関係なのかもしれないな、と最近つくづく思う。

4月末で今の会社に勤め始めて4年半になる。4年半も同じ集合体に所属していると、そりゃもう周囲の環境は大きく変わるんですよね。新しく入ってきた人、辞めてしまった人、結婚した人に育休を取って戻ってきた人。生活環境が変わったであろう人の顔をいくらでも思い浮かべることができる。当たり前ではあるけれど、4年半前と働き方や私生活がまったく同じ人なんていないと思う。それは性格や価値観の面も同じで、人は目に見えぬ部分もどんどん変化していく。よくも悪くも。ずっと同じ人、変わらずにいられる人なんて存在しないのだろうということを、ひしひしと感じている。

同じチームの人の当たりがキツい。その矛先は私ではなく最近入社したばかりの同僚なのだが、ミーティング中に怒られている場面・冷たくあしらわれている場面にいつも居合わせ、その様子を聞き続けなければならないのがものすごくキツい。

私の所属するチームは少し特殊で、個々でやっていることが微妙に違っているため、その同僚の仕事ができる/できないはわからない。何か発言をする度、その人から圧の強い指摘を受け、明らかに他の人とは異なる冷たい態度を取られる。人格否定をしている訳でも怒鳴っている訳でもないので、ぎりぎりハラスメントには引っかからないと思うのだが、ただ黙って聞いてる私でも少々ダメージを受けるというか。毎回無意味に落ち込んでしまう。

そして何より、私はこの怒る人のことをよく知っていて、コロナ前まで毎月のように飲みに行くような仲だった。当然仕事もよくできるし、自立していて指示も毎回的確である。趣味もたくさんあって、興味の幅も広くて、話をしていてとても楽しい方で、尊敬している。私のことを気に入ってもくれ、何度も助けられた。この人がいたからこそ、私は今の仕事を続けて来られたのだと思っている。

そんな人が人によって態度を変え、嫌な一面を見てしまったことが何よりも悲しかった。ずっと一緒に働き、ある意味では家族や友達よりもお互いに知っている面が多いような人。誰かにものを教える立場に立ち、時には評価をしなければいけないから、注意したり怒ることも必要ではあるのかもしれない。でも今まで見ていたのはほんの一面にしか過ぎなくて、私はただ気を遣われ、優遇される立場に立っていただけだった。

新しく入った同僚が怒られているとき、「いやいや~それはダメでしょ~」と軽く言えればよかったものの、私にそんな勇気はなく、萎縮しながら時間が過ぎるのを待つ。その同僚に話を聞いたり、もっと上の立場である部長に少し話をしてみたけれど、直接的な効力なんてない気がする。困っているである同僚に手を差し伸べることもせず、ただ保身に走る自分も嫌だ。