わたしが他人のことで怒るときは…
もちろん、自分に変わって誰かが怒ってくれることは、怒るほどのパワーがないほどに弱っているときにはとてもありがたいことだけど、わたしが他人のために怒りを露わにするときは、必ずしも他人のためであるといえない。むしろわたし自身が密かに抱えている怒りを、大義名分が出来たとして、ここぞとばかりに放つこともある。だから、他人のことで怒っている自分は、時に他人の不幸に便乗してうさばらしをしている気がして、後味悪さを度々感じてしまうこともある。
とにもかくにも、わたしは日々、怒りすぎていることは間違いない。だからこそ、わずかでも穏やかな人間になるために「ひどいね」を押す前には一拍呼吸を置いて「悲しいね」と「ひどいね」のどちらが本当に相応しいかを、考えるというアクションを取り入れようと思っています。これが“とにかく怒りやすいおばさん流フェイスブックの使い方”です。
Text/大泉りか
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