SNSの不幸な投稿に「ふざけんな」と怒る私、他人の不幸に便乗してるかも

最早すっかりと“おじさんおばさんの楽園”と化した感のあるフェイスブックですが、わたしもまた、友人知人たちの近況を知るため、ほぼ毎日のように開いては、投稿に「いいね」を付けている、パラダイスおばさんのひとりです。

フェイスブックのよい点は、140字以内に収めなくてはならないツイッターよりも長文投稿が可能なため、より詳しい近況や心情、映画や本や食べた料理などをテーマとしたエッセイめいた文章が読めること。例えば、パートに出社する度に立ち食い蕎麦屋で朝蕎麦をキメる日課を持っている子持ちの友人が今朝食べた蕎麦の素晴らしさを語っていたり、ひとり暮らしの中年男性がバランスの良さそうな自炊メシを投稿していたりする。それらを見るにつけ、付き合っていた男に顎の骨を折られたり、活きタコでオナニーをして大惨事となった彼女彼らの前フェーズを思い出すとともに、継続する人生の素晴らしさに思いを寄せる喜びがある。

もちろん、投稿される近況報告がいつも幸せそうだとは限らなくて、道端で通りすがりの人に嫌な思いをさせられたとか、新型コロナの影響を受けて生活が苦しいだとかの「いいね」を付けにくい投稿もある。そういう場合は、「大切だね」「うけるね」「すごいね」「悲しいね」「ひどいね」のいずれかのアクションマークを選び、つけることになるのですが、わたしの場合は、「ひどいね」のマークをクリックすることが多い。だって「ひどいね」としか言いようがないじゃないですか。ところが、そういったアンハッピーな投稿に、他の人たちが付けているアクションマークを見ると、だいたい「悲しいね」と「ひどいね」の2つに分かれている。

そうして気が付いたのは、自分は非常に怒りっぽい人間だということです。何か人や自分が理不尽な目にあったときに、まず最初にわたしが抱く感情は、「大変なことがあったね」という同情ではなく、加害者側や世間に対する「ふざけんな!」という怒り。これまで、それはごくごく普通のことであると思っていたけれど、フェイスブックで「悲しいねマーク」を付ける人の存在を知ったことで、理屈に合わないことに関して、怒りではなく悲しみを覚える人がいることを知ったのです。衝撃!