君はヒロインなのだから

私たちがおしまいかは最期までわからない。枝から離れた小鳥だとしても/葭本未織

海辺で犬と写真に映る葭本未織さん 

ツイッターという、例えるなら大樹のようなSNSがある。その一角の細い枝で、小さな鳥たちがさえずっていた。あの日、わたしだけがそのさえずりに参加できないような気がした。

いつのまにか嫌われていて悪口を言われているというのは、何回経験しても慣れない。 子どもの頃からそういうことは多かった。女の子とはいつも、いつのまにか、そういう「関係」になっていた。知らない間に好かれて、知らない間に嫌われて、知らない間に悪口を言われている

私事だがツイッターをやめた。アカウントを消してもう一か月が経つ。やめる直前、仲良くしていた(と思っていた)女の子からフォローをはずされて、しかも悪口を匂わせられていることを知った。その前からツイッターはやめるつもりだった。だからそれがやめた直接的な理由ってわけじゃない。だけど、だからこそ、もしもあの日に戻れるなら、その投稿を見ないまま、アカウントを消したい。

これはみんなそうかもしれないけど、さして好きじゃない人から嫌われても何も思わない。 だけど、好きだと思ってた人、大切にしてきた人から嫌われたとき、自分じゃコントロールできないぐらい悲しみの淵に落とされてしまう。

(わたしはあの子のこと、大事にしてきたつもりだった。だけど、それは一方的なものだったのかな。わたしは気がつかないあいだに、あの子のことを傷つけてしまったのかな。申し訳ない。ごめんなさい。)

言葉が、胸の内にあふれ出して止まらなくなる。そんな瞬間が、一日のうち何回かある。わたしはこれを発作と呼んでる。名づけた通り、苦しさに耐えて数十分やり過ごせば、だんだんとおさまり、平常に戻っていく。日々を重ねるごとにその頻度も少なくなり、ついには無くなる。
だけど、今回は少し長い。ほとんど6月中ずっと、わたしはこのことに悩んでいた。

ある日、出先から帰ったら、枕元に1冊の本が置いてあった。父からのプレゼントだった。その本は、哲学書からおいしいところだけを抜き出して、自己啓発風に読みやすくなおしたベストセラーで、なんだか父にそぐわなくて。書店に平積みにされた本を手に取り、レジに並んで買っている姿を想像すると、思わず吹き出してしまった。そして目頭が熱くなった。父には、わたしが悩んでいたのが透けていたのだろうか。
本は直ぐに読んだ。書いてあることは理解できた。
だけど、憂鬱は変わらないまま、ずっとわたしの胸の中に居る。

離れるならどうか、別れを告げてくれ

人間関係を勝手に終わらせる女と、一方的に置いていかれる女。演劇において、そういうモチーフを狂ったように何回も描いてきた。それは自分の実体験によるところが大きい。わたしはだいたい後者の女だった。

離れていく女はいつも、「この人間関係の破綻は、お前の対人関係におけるスキルの無さが原因です!」というメッセージを残していく。しかしこの「スキルの無さ」というのを分解してみると、「他人をケアする能力に欠けている」という指摘だということに突き当たる。
あなたの配慮の無さにこれだけ傷つきました、と彼女たちは去る。
わたしは頭をかきむしる。もしもわたしが男だったら……と思う瞬間はかなりあるが、そのうちの一つはこういう時に感じる。

たしかに、わたしは配慮が無い。ちゃらんぽらんで、言葉が軽い。言わなくてもいいこともすぐぽろっと口から出てしまう。そのわりに根が意識高い系で、圧倒的成長が大好き。まあ嫌な奴だ。それが第一印象からはわからない。
特にわたしの作品から入ると最悪だ。ものすごいスピードでのめりこまれ、ものすごい勢いで嫌われる。乖離があるのだ。わたしは、わたしの作品ほど包容力が無い。ずっともっと頑迷で、自分本位だ。
しかし、しかしだ!わたしのワンマンっぷりも、男性なら「男らしい!」と褒められたのでは? リーダーシップがあると言われたのでは? 人間関係が破綻したからと言って、それが人間性の全否定にはつながらないのでは? あるいは、全否定されたかのようにわたしが感じることもないのでは? 女性だから、いたわりの心とか思いやる気持ちとかがもともとそなわっているかのように求められているのでは?!自分自身も、そういう美徳がそなわっていて当然だと思い込んでいるのでは?!
と、ここまで考えると、嫌~!無理だ~!わたしには配慮とか察するとかの芸当、とてもじゃないができませ~ん!と一人泣いてしまう。

でも、それより嫌なことがある。それは、トラブルをトラブルにもしてもらえないことだ。お前が悪いというメッセージを残して毎度女の子は去る。しかしその旨を、彼女たちは決して対面では言ってはくれない。LINEに書いてくれたらいい方で、大概はネットに書く。誰とわからないように。だけどわたしにはわかるように。それがすごく悲しい。喧嘩もさせてもらえないことはつらい。

デビュー作の『聖女』という作品で、別れる女たちを書いた。二人はホステスで仲良くやっていたのだが、片方が店をやめ、夢であった芸能界で成功していく。遠まわしにもう会いたくないという女に、「無かったことにしないでよ!」ともう一人は伝える。しかし女は「ごめんね」と去っていく。
「なんだかカップルの別れのシーンみたい」と言われたが、ふりかえるとあれは、せめてもの願望だったのだなと思う。
女の子たち、あんなに楽しかった日々を無かったことにしないでくれ。離れるならどうかせめて、きちんと顔を見て、別れを告げてくれ。

でもこうして深く悩むのは、わたしが本気で女の子のことが好きだからだろう。彼女たちの細い肩なり、華奢な手なりを思い出して、あの壊れ物のように神経が繊細で、自分が当然大切にされてしかるべきと思っている、かわいらしくもわがままな女たちを怒らせてしまったことに頭をかかえる。
男の子に対してこんな気持ちを持つことは無い。例えるなら、わたしは彼らのことを、とても美しい「馬」だと思っている。その立派な体躯と精神でもって、わたしをどこかへ連れていってくれる。すばらしく現実的で、良い意味で実用的な存在。
女の子はそうじゃない。彼女たちは「鳥」だ。そしてわたしは、彼女たちにとっての「大鷲」になりたかった。それは大樹を寄る辺としない強い鳥だ。この翼でもって、すばらしく美しく遠くへ、もっともっと高いところへ、あなたたちを運んでいきたい。だから一緒についてきて。目もくらむようなその景色を一緒に眺めて。

でも女の子たちの大半は、友人関係に「もっともっと」を求めていない。小鳥たちは、同じ枝でさえずることが好きなのだ。そしてふりかえってみると、自分も多分にそういうところがあるなと思う。わたしも所詮、小鳥である。