人生でやりたいことはたくさんあるのに、やらない選択をしてしまうあなたに

やりたいことはあるのに、やらない選択をしてしまう

いくつもの選択肢の前で立ちすくむ女性の画像 Pixabay

人生でいつかやってみたいことって、どれくらいあるんだろう。
高いイクラのお寿司をお腹いっぱいに食べたいし、南極までペンギンを見に行ったりもしてみたい。時間ができたらスキューバダイビングのライセンスも欲しいし、好きなブランドのお店で「この棚の端から端まで買うわ」とか、言ってみたい。バンジージャンプもしたいと思っているし、何もない南の島でぼーっと何もせずに過ごすのも夢の一つだ。

すぐに叶いそうなレベルだと、富山まで黒部ダムを見に行きたいとか、家の近所にちょっと気になる居酒屋があるからそのうち入ってみたいとか。そういえば、新しいドライヤーも欲しいんだっけ。

普通に生きて生活をしていると、「いつかやりたいこと」というのが山ほど出てくる。けれど、大抵決まって「時間がない」「お金がない」「もし、失敗してしまったらどうしよう」とか、やりたいことをやらない理由がいくらでも出てくる。そして、自分のやる気をどこまでも削いでいく。ありきたりすぎるやらない理由に、だんだんと「いつか」が遠ざかっていく。
やる理由よりも、やらない理由の方を選んでしまうのはどうしてだろう。どうしても、やらない方へと身を委ねてしまいそうになる。生活の波に揉まれながら、昔の気持ちも目標にしていたことも少しずつどうでもよくなってきてしまう。

私の人生にも、「いつか時間ができたらちゃんとやってみようかな」と思っていることがあって、そのうちのひとつが英会話だった。
英会話、だって。なんだよ、しゃらくせえ独身OLじゃないか! とか自分でも笑ってしまいそうになる。
けれど、私は海外旅行が趣味で、年に3回くらいは外国に出かける。最低限の会話ができる英語レベルだから、数人単位での話になるとどうしても会話が詰まる。私の語彙力がなさ過ぎて。

帰国日の空港にて、いつも「日本に帰ったら勉強しよう」とは思っちゃいるのだけれど、その気持ちがだんだんと「いや、旅行しているだけでこれだけ上達してるの、逆にすごいんじゃないか?」という傲慢すぎる気持ちが顔を出す。
いやあ、英語ね。英語。勉強だって大嫌いだったけど、「外国なんて興味ないのに、なんで覚えなきゃいけないんだ」と思っていた高校時代の私をぶん殴ってやりたい。頭の柔らかい時期に、もう少し真面目にやっておくんだった。

しかし、転機はいきなり訪れるもので、私は英語をきちんと勉強しようと決意することになる。