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  • 2014.07.24

エネルギーを補完しよう。恋人が落ち込んだときにも、ふたりとも幸せでいる方法

スピリチュアルに頼る恋愛はなにかとよくないとされながらも、「気が合う」「惹かれあう」の『気』はなんとなく感じる、ちょっと不思議なものだというファーレンハイトさん。エネルギーのバランスは恋人同士など人間関係のどこにでもあり、どちらかのパワーが過剰だと疲れてしまう経験は、みなさんにも共通するのではないでしょうか。

異性を惹きつける方法、恋人が落ち込んでいるときに

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©Sodanie Chea

 さぁ、今日はスピリチュアルライクに本当の恋愛の話をしようか。

「気が合う」という言葉がある。ただの友人であっても、恋人関係においても重要なキーワードだと思う。

 一般的には性格が合うとか、趣味が合うとかそういう意味で使われている。
でも、最近文字通り「『気』が合う」というのが存在しているんじゃないかと感じるんです。

 たとえば俺らは何気なく「気」って言葉をあらゆるところで使ってる。
気分、気力、元気、本気、活気、陰気、男気、女気、気質、勝気、健気、眠気、天気…。なんらかのエネルギーの状態を表現している言葉に見える。

 いわゆる「気が合う人」はそういったエネルギーの波長が合う人なんだろうなって。
俺は特定の信仰も世界観も持ってないから、<なんとなく感じる相手の印象・雰囲気>をエネルギーと表現してるだけなんですけどね。

 俺は人間関係をエネルギーのぶつかり合いに捉えてるところがある。
アグレッシブな人は放出するエネルギーで他人に作用を与えようとする人。
なんか人をリラックスさせる人は他人をふんわりと包摂するような優しいエネルギーを醸し出している人。
サゲマンは相手のエネルギーをブラックホールのように吸い取ってしまう人なのでしょう。

 モテ的な切り口で書けば、魅力的な人は例外なくエネルギーがほとばしっている。
内包したエネルギーが外に溢れ出てるから人混みのなかでもなぜか人目を引く。単純に見た目だけじゃ説明がつかない何かをまわりが感じてるわけ。いわゆるオーラがある人とはこういうことを言うんだなと思う。
俺は男友達にアドバイスで「女の子と飲みに行く前に、俺最高モードを本気で作ってから行け。ダラダラしてるときと気持ちを切り替えてから家を出ろ」ってよく言うんですよ。

 出会い頭から何の熱量も感じない人に、パッとした印象は持てないじゃないですか。
ファッションがどうとか、トークの内容がどうとかよりも相手を本質的に惹きつけるのはそういったものだと思ってるんですよね。
かなり抽象的ですが「なんか良い感じ」と「この人、ちょっと…」の分水嶺はそういった漠然とした印象なのは間違いない。

エネルギーはパートナー同士で補完しあえばよい

 さて、男女の恋愛関係の話に入ろうか。

 好きな人でも、恋人でもどっちでも良いんだけど、どんなに魅力的な人であっても「いつ、いかなるときも」良い状態とは限らない。
単純にもう疲れきっちゃってる状態とか、ちょっと心が折られるようなことがあったとか。そういったもので本来は魅力的だったエネルギーって簡単にくすむ。
置かれている状況で別人のようになってしまう人を何人も見てきた。

 もう少し話をするとこういう負のエネルギーって感染するんですよね。
家族が体調を崩したりすると、なんとなく家の空気が暗くなったりするじゃないですか。
そんな感じで相方の方も引きずられて活気がなくなったりしがち。

 でも俺は思うんですよ。そういうときこそ元気な方が<今までと変わらない姿>を見せること、今までと同じエネルギーを出し続けることが支えになるんじゃないかって。
一緒にローなテンションになって共感しようとしてしまいがちだけど、一緒に陰気になってもしょうがないじゃないですか。自分のエネルギーで相手を底上げしてあげたい。

 当然、これはデリケートな話でまったく相手の波長と合わないことをやっちゃうとダメな気がするんだけど、そこは慎重にしながらも「でも、大丈夫だよ」と背中を支えるのが元気な方のつとめな気がする。
一方が一方のエネルギーを補完すれば良い。

愛情は自分ごとの拡大

 俺は<愛情>とは何かというと分からないんだけど、ひとつ確信していることは<自分ごとの拡大>だと思っている。
本質的に人間は自己中だから自分がいちばん可愛い。自分をいちばん可愛がりたい。自己愛。その対象が他人にまで膨らめば、それは嘘偽りない「愛」のはずで。
たとえば子どもが嫌いだった人が、親になると子どもが最優先になったりするように。

 同様に、好きな人が喜んでるときに自分ごとのように嬉しくなること。悲しんでるときに自分ごとのように悲しくなること。
その感情は「愛情」だと思うんです。自分が嬉しいとか悲しいとかと同じレベルでそれを感じられるかどうか。

 さっきの"今までと変わらない姿を見せる"というのは、俺なりのやり方で正しい方法とは思っていません。
けれど、<ふたりのトータルの状態としてハッピーでいたい>という思いから来るものなんです。
自分ひとりが楽しい状態でいたいのと同じくらい、彼女とふたりで楽しくいたい。

 大切な存在とはなんでしょうか?大切という言葉は「大いに迫る」が語源のようで、転じて「かけがえがない」「本当に愛しているもの」という意味になったようです。
でも、思春期に出会った歌詞の方がしっくりくるようにいまは感じる。

"どうして大切という字は 大きく切ないのかな"

 大切な存在は自分にとってものすごく大きな喜びとともに、ときにものすごく切なさを伴うものなんだと実感していく年齢になってきたんだろうと思う。

ブログで「あとがき」やってます

 AMでコラムが掲載された数日内に、あとがき・こぼれたエピソード的な記事をブログで書いてます。よろしければ。


Text/桐谷ヨウ(ファーレンハイト)

ライタープロフィール

桐谷ヨウ
脱力系ヤリチン、週末コラムニスト。恋愛コラムで一躍人気ブロガーに。

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