夫に「今日からゴリラになるから」と宣言すべきかどうか「夫婦と筋トレ」/カレー沢薫

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今回のテーマは「夫婦と筋トレ」である。

このようなテーマを選んでおいてなんだが、我々夫婦は筋肉とは無縁のボディをしており、パニック映画なら序盤で死ぬビジュアルをしている。

しかし私個人は「筋肉」に対し並々ならぬ憧れがあり、会社を辞めた時まず思ったのは「これでゴリラになれる」であった。

「会社を辞める」→「時間が出来る」→「筋トレをする」→「ゴリラ」という完璧なフローチャートも出来ているのだが、退職後二年経った今、私のゴリラ化計画は「毛深い」以外クリアできていない。
つまり8割達成しているということだが、焦りは禁物であり、これから30年ぐらいかけて仕上げていこうと思う。 しかし、退職した時に「これからゴリラになるんでよろしく」と夫に言ってなくて良かった。

ゴリラだけでなく、掃除をするとか飯を1品増やすとか「生まれ変わったこれからのオレ」の話をしていなくて本当に良かったと思う。

人間の一生というのは、突然イヤーカフコレクションにハマったり、蟷螂拳をマスターしようとしてみたりと、ブームと挑戦、飽きと挫折の反復横飛びである。

それ自体はとても良いことだ。
何にも興味が持てないより、死ぬまで何かに熱をあげたりトライし続ける方が良い人生に決まっている。
しかし、そういうタイプの近くにいる者の人生が良いものとは限らない。下手をすると一年中何らかの流行り病に罹っている奴の介護をするだけの人生になってしまう。

例えば、私が夫に「今日からゴリラになるから」と突然宣言し、食卓にささみとプロテインしか出さなくなったら迷惑だし、常に隣で「フッフッ…!」とスクワットをされたらストレスだろう。
さらに、人をそれだけ巻き込んでおいて一か月ぐらいすると、寝転がってカントリーマアムを袋食いしているのである。 そこで「ゴリラはどうしたんだ?」と聞くと顔だけ瞬時にゴリラと化す、つまり「不機嫌」になるのだ。

このように、一生トライ&アゲイン、ホットトゥクールな人間と一緒にいるというのはなかなかの修業なのである。
さらに「このアマゾンで売っている重り的なものがなければ我ゴリラになること能わず」という道具から入るタイプだったりすると、金銭的にも負担、さらに家がどんどん狭くなると言うストレスにも晒されることになる。

去年私は誕生日プレゼントとして、夫に4万円もするルームウォーカーを買ってもらった。

これはゴリラ化計画の一環ではなく、無職生活を1年以上続けた結果「このままでは歩行が困難になる」という危惧があったからだ。
しかし「外にでて歩く」などということをするぐらいなら、私は屁で移動する練習をする方を選ぶ。
よって、私にとって必需なものとして、割と高額なものを買ってもらった。