専業主婦に絶対なりたくなくなった。自由に生きたい気持ちと結婚願望は相反する

20代なかばくらいまでの私は結婚願望がとても強かった。
19歳の頃なんて、人は歳を重ねていったら当たり前に結婚をするし、女性は当然専業主婦になるものだと思っていた。
私はそうなることに憧れていた。専業主婦になれば家賃や光熱費を払うことに追われずに済むからだ。家事だけすればいいからラクチンだと思っていた。
働かずして寝床と食う飯に困らないなんて夢のようじゃないか。今だってそう思う。

ところがいざ同棲をして、完全に養われているわけではないものの洗濯物を干しているとふと、「死ぬまでこんなことするの?」と不安に襲われることがたまにだけどある。
2人分の衣類を洗って干し、2人分の食器を洗い、家事をしている姿はほのぼのとした絵面でまさに幸せの象徴! って感じで19の私が憧れていたはず。それなのに、なんだか自分が鎖で繋がれた犬のように感じてくるのだ。
家事をやっている間だけは心をからっぽにして人形かマシーンにでもなりきっていないと、何かが音を立てて壊れてしまいそうになる。正気でいたら家事を放棄しかねない。1年以上同棲を続けるうちにだんだん慣れはしたけれど。

そういえば、昭和の日本映画で“旦那さん”が脱ぎ捨てて床に落ちた服を“奥さん”がきれいにハンガーに掛けてしまうシーンなんかがあるけど、なんだか胸がザワザワするようになった。
女の人が強姦されるシーンもそう。みんながみんなそういう映画ばかりではないけれど、当たり前のように女の人が襲われる描写は少なくはないと思う。性被害というものが当時は「仕方がないもの」だったのだろうと想像させられる。
昔は他人事のように思えたから観れたけど、大人になってからはダメになってしまった。

フリーランスとして一応7年ほどこの仕事をやってきて、駆け出しの頃に比べたら稼げるようになり、ようやく親からも経済的自立ができるようになった。自分の人生を歩めるようになったおかげか、自我というものが芽生えた実感がある。
やりたいこと・やりたくないことが具体的に見えるようになった。色んな選択肢が生まれたのだ。自由を獲得したってことなのかもしれない。
不自由でいるよりは自由でありたい私にとって、まるで召使いや付属品、時には物のように扱われる映画の中の女たちの姿は見ていて苦しい。
子供の頃の私はあんなに専業主婦に憧れていたのに。
2人分の洗濯物を干しているとかつての私の姿が浮かんでくるのだ。「ずっと私が求めてたものじゃん!」って昔の自分なら言っただろうな。
でも今は洗濯を1週間放置してもいいから、絵や仕事について苦悩することに時間も体力も使いたいと切に願うのだ。