親が死んだらどうなるんだろう
そんなこと言ってたら結婚なんか無理なんじゃないのかって客観的に思うんだけど、自由が欲しいんだったら結婚はきっと向いていないのかもしれない。
けれども実家に帰ると両親は年々ヨボヨボになっていく。
シンプルに親が死んだら自分はどうなるんだろう? って不安を覚えるようになった。
まだまだ元気だと思っていたら父は膝を悪くしたし、母も原因不明の足首の痛みに襲われて痛み止めの注射を病院で打ってもらってごまかしごまかし働いてる。
実家で暮らせば家賃はかからないで済むけど、免許証すら持っていない私にとって田舎暮らしはハードルが高い。
こんな田舎に住んでいて車を持っていない大人なんて「何かある」と近所の人に思われかねない。そうでなくとも不便だ。もう中学生の頃みたく自転車を片道1時間も漕ぐことはできない。
親がいなくなったあとも引き続き都会に部屋を借りて一人で暮らすんだとして、万が一何かがあったとき帰る実家も無ければ当たり前のように助けてくれる人ももういない。
今まで単なる自虐風ギャグとしてしか「孤独死」って単語を使ってこなかったけど、ここにきてようやく現実味を帯びてきた。
適度な責任感を持って生きたい
自由に生きるっていうのは無責任でいられるってことだ。
それはきっと気楽な人生だろうけど、無責任に生きると死ぬ時いろんなツケを払わされるような気がしないでもない。どっちが天国に行けてどっちが地獄に落ちるかなんて死後のこと、考えるだけバカバカしいのだけど、やっぱり気持ちよく人生を終えたい。
自分がもし結婚を決意するとしたら、それは「この人に自分の死を見届けてほしい」と思ったときだと思う。「この人にならこの身を委ねてもいい」とも言い換えられるかもしれない。
やっぱり30代は、10代20代の頃に比べると今から考えておかなきゃいけないことが増えるみたい。
何にも考えず、目の前のことをこなせばよかったあの頃とはちょっと違う。使う基礎化粧品だって10年後20年後の肌のことを考えて良いものを選ぶようになった。
慎重に生きるようになったってことなんだろう。
それは決してネガティブなことではないと思う。かえって無茶で馬鹿なことをやっていろんなことを無駄にする機会が減ったし、個人的には今のほうが生きててラクだ。
とりあえず、発言や行動には適度な責任感を持ちたい。信用できる大人がどれだけ少ないか、年を重ねるたび思う。
こうして人は大人になってゆくんだなぁ。
もう10代の子供たちの気持ちを想像できなくなる日も近いのだと思うとなんだか寂しい。
若者は今のうちにたくさん無茶をしたほうがいい、私から言えることは以上です。
Text/oyumi
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