ふと、蘇ってきた幼い記憶には

 講座は、席の近い人とふたり組になって、昏睡状態の役とそこにアプローチする役に分かれておこなう実習に移りました。ついさっき、同じ場所で同じ体験をした人たちともまったく違う気持ちになったのに、何も話さない見知らぬ人とコミュニケーションが取れるのか、不安しかありません。

「今回はみなさん初めてなので、相手の体を触って動かすよりも、呼吸を合わせてみて、何か言葉が思い浮かんだら声をかけてみてください」

 講師の説明を聞いて、ますます正直に戸惑いました。いましがたふたり組になった知らない人に目をつむられても、かける言葉なんて浮かびそうにありません。しかし、相手の方は相談のために椅子ごとこちらに振り返ると、軽く挨拶のお辞儀をして、すぐにアプローチする側になりたいと申し出ました。ぜひぜひ、と素早く何度か頷いて、私の生い立ちや生活について、手短に数分で話します。

 それぞれの話し声がぱらぱらと止んで、実習が始まりました。
目をつむっている人を一心に見つめるのも緊張しそうですが、ただ目をつむっているところを延々と見られるのも、緊張するものです。みんなが緊張している気配が、目を閉じていても伝わってきました。
参加者が奇数だったこともあり、人数合わせのために普段から昏睡状態の人と関わる活動をしている方が参加していて、彼女の「頑張っていますね」などの囁きが静かに響いている以外は、みんな黙っています。

 私はなんとなく相手に気持ちが読み取られているような気がして、謙虚な気持ちになろうとしたり、厳粛な気持ちになろうとしたりしましたが、途中でぱたりと諦めました。というより、みんなが押し黙って緊張している空間が、なんだか可笑しくなってしまったのです。

 緊張の糸が切れてしまったことを相手に悟られないように願いながら、その願いも薄れた頃、ふと、父親と一緒に眠った日のことを思い出しました。

いつもは一緒に寝ていなかったのですが、その日はどういうわけか、父親の布団に潜り込んでいたのです。寝つきが悪かった私は退屈になって、先にうとうとしていた父親の呼吸に自分の呼吸を合わせていました。
父親の呼吸は私よりもずっと深くて、吐くのも吸うのも、タイミングを合わせるのが案外難しかったです。すっかり熱中していたら、いつから意識があったのか、「ちょっと、呼吸合わせるのやめてくださーい」と父親にからかわれました。誰かと呼吸を合わせた唯一の体験だと思います。

 そんなことを思い出していたら、油断してつま先が無意識にぴょこっと動いてしまいました。相手に見られたかと思うと、居眠りに気づかれた時のような恥ずかしさが瞬時に湧き上がってきて、再び人から見られている現状に集中します。