• love
  • 2018.01.15

クリスマスもお正月も自由に過ごしていい…そんな大人の称号が少し寂しい

子供のとき感じていたクリスマスの煌びやかさや、親戚家族と過ごす年末年始の特別な感じも、大人になった今となっては懐かしい。「家族のこども」でいられたあの日々を、姫乃たまさんが思い出して綴ります。

 自分を好きになってくれない人や身勝手な人ばかり好きになり、不安定な恋愛関係に陥ってしまう女性たちへ。
「私は最初から私を好きじゃなかった」――自己肯定感の低い著者が、永遠なるもの(なくしてしまったもの、なくなってしまったもの、はなから自分が持っていなかったもの)に思いを馳せることで、自分を好きになれない理由を探っていくエッセイ。

永遠なるものたち013
「年越し」

夕焼けをバックに一人で佇む少女の画像
by Olivier Fahrni

 冬のはじまりの匂いをなんて言おう。あの、好きな人の指先で心臓のあたりをくすぐられたような。私の場合、どういうわけかそれは高いものを見上げた時、ふいに訪れます。たとえば、表参道のイルミネーションや、代々木上原にある背の高いモスクの塔を見上げる時。どちらも大通り沿いにあって、空がひらけています。ひんやりと澄んで、それでいて甘いようなあの空気の匂い。

 あの甘さとくすぐったさの中には、クリスマスの気配が含まれています。デートやパーティや、その時に交わされる愛情やプレゼントへの華やかな興奮が、空気に混ざっているとしか思えません。実際に酔ってしまいそうな街の空気を吸うだけで、こどもの頃のクリスマスは特別なものになりました。まだ私の人生に現れていない素敵な男性たちや、大人びた女友達の気配がありました。
私には参加できなかった、ロマンチックな夜。

 クリスマスのよいところは、すぐ後にお正月がやって来るところです。ケーキやシャンパンで甘ったるくなった気配が、清く締まる感じがします。特別さでいえば、クリスマスよりも年越しのほうが、もっとくっきりと特別でした。
いつもは早寝の父がまだ起きている異常事態や、テレビ番組の賑やかさも手伝って、夜が更けても目が冴えていて、自分が遅い時間に起きていることに興奮して、ますます目がさめて。

あの瞬間、私は「家族のこども」だった

 年越しの瞬間なんて、今日が昨日になって、明日が今日になって、12月31日が1月1日に戻って、しかも西暦が一年増えていて(!)、にわかには信じがたい気持ちになります。私に覚悟があってもなくても、清い気持ちになっていてもなっていなくても、いつか誰かが決めた日付や時間によって、強制的に年越しの瞬間は訪れるのです。

 ほとんど混乱したまま浮き足立って、夜明けにようやくやって来た睡魔と眠って、朝すぐに、家族揃ってお雑煮を食べるために起こされるのもよいところです。一緒に遅くまで起きていたはずの母は、もうきちんとした朝の佇まいでお雑煮を並べていて、私だけがぐずぐずと眠たい目をこすりながら食卓につく時の甘ったれた感じも。あの瞬間、私は思いっきり「家族のこども」でした。

 元旦はお昼を過ぎると親戚の人たちが次々と集まってきておせちを食べ始めます。お客さんの中には、同い年くらいの男の子(両親がバイリンガルに育てようとしていた)や、クッキーがいました。クッキーはグレーの柔らかい巻き毛をした小さな洋犬で、ひげを生やしたような顔をしていました。いつも飼い主のおじさんにペッタリとくっついていて、おじさんの言うことだけを、よく聞きました。

 男の子はまだこどもで、私もまだこどもでした。両親から日本語の後に英語でもう一度同じ言葉を聞かされる決まりなので、咄嗟に叱られた時も英語でまた叱られて、しばしばうんざりした態度をとっています。私の家には英語も犬もなかったので、毎年、奇妙な気持ちになりました。

 お腹がいっぱいになって、意味もなく目の前にあるカニの身をほぐしたり、手を拭いたりしているうちに冷静になってしまって、次第にこれが何をしていればよい時間なのかわからなくなります。そもそもいまの時間が退屈になりつつある自分に気づかないようにしながら、おじさんたちがビールを飲んでぞろぞろ笑ったり、祖母と母が台所とテーブルを忙しなく行き来するのをぼんやり眺めていました。
本当はなんでもないただの一日。でも特別な日。

大人になると特別な気持ちも薄れるような

 私がこっそり好きだったのは小学校の年度末です。もうすぐ春休みになるし、忘れ物や友人関係に細かく神経を尖らせていた日々を振り返ると、きちんと一年にまとまっていることがわかって安心します。

 なんといっても、年度末は大人たちが忙しそうなので、職員室がばたついていて、放って置かれている感じが心地よかったのです。次の学年の教室にお引越しするために、一旦、教室が何もなくなってきれいになるところも。
先生たちもだんだんと上の空になって、授業中によくわからない自由時間ができて、何をするでもなく時間が過ぎるのを待っていました。先生にも授業をする気力がないけど、ほかのクラスよりも早く帰すと角が立つので引き留められていることが、みんなわかっていました。

 同級生たちのはしゃぐ声を聞きながら机に頰をつけて、おっとりと眩しい窓の外を眺めます。いつの間にか冬の澄んだ空気に、春のうららかさが混ざっていました。誰が誰に気を遣っているのかわからないまま、大勢で時間が過ぎるのを待っている奇妙な時間。

 随分、遠いところまで来た気がします。みんなでおせちを食べた家はもうなくて、いつからか誰も集まらなくなりました。もう大人なので、クリスマスも、お正月も、自分の好きに過ごしていいんだと気がついた時から、選択肢は増えたけれど特別な気持ちも薄れてしまったように感じます。なんでも好きにできるって、とても愉快で、時々とっても寂しいことです。

 年度末に向けて書類を整理しながら、ふとあの男の子はバイリンガルになったのか、犬はまだおじさんにくっついているのか気になりました。

Text/姫乃たま

次回は<深いところまであなたと一緒に降りていく。無意識の繋がり方を学んで>です。
昏睡状態の人とコミュニケーションをとるためのメソッド(コーマワーク)を学ぶ講座に参加することになった姫乃さん。始めに行った昏睡状態の疑似体で不思議な体験をしたそうです。その体験と、そこで彼女が感じたこととは。

ライタープロフィール

姫乃たま(ひめの たま)
地下アイドル/ライター
今月の特集

AMのこぼれ話