わかりやすいキラキラと、わかりにくいキラキラ

私の女友達が先日、南米を旅してきたそうなのですが、旅行の写真を見せてもらってびっくり。「ホテルの前にいつもいたから友達になった」といって、素性のわからない怪しげなホームレスのおっさんと、笑顔で楽しそうに記念撮影をしていたのです。その様子を話す彼女の表情の、なんとキラキラしていたことか……。

三種の神器にいまいち食指が動かなくても、別にいいと思うんです。だけど、そのせいで人生が楽しめないのは、ちょっと悔しいじゃないですか。世間が作ったわかりやすいキラキラを手に入れる気にならないのなら、自分で勝手に作ったわかりにくいキラキラを放てばいい。わかりにくいだけに気付いてくれる人があまりいないのが難点ですが、伝わる人にはそれこそ光の速度で伝わります。

「女の人はキラキラしてないといけないの?」という今回のタイトルの問いには、私はやっぱりキラキラしていたほうがいい、と答えます。なんというか、羽虫も人間も生物はみな基本構造が同じで、明るいところとか楽しそうにしている人に吸い寄せられるものだと思うんですよね。別に仕事をバリバリやらなくてもいいし、恋愛しなくてもいいし、子供を産まなくてもいいと思うんですけど、「いい話」はキラキラしている人のもとにやって来るのが世の理。
まあそういうものすべてに背を向けて、「俺は孤独だ……!」と闇を抱えて社会から逃走するように生きるのもそれはそれでかっこいいと思うんですけど、こちらはちょっと芸術家向きで一般人にはハードかな。

私は今イスラエルとパレスチナに関する著作を集めることに凝っているのですが、本に触れる自分の目がキラキラしているといいな、といつも思っています。みなさんからの「いい話」、いつでもお待ちしておりますよ。でも、マルチ商法の勧誘はやめてね!

Text/チェコ好き

※2015年10月19日に「SOLO」で掲載しました