30歳が近付いたら、「自分のことが書いてある!」本を探そう

「私の考えていることは、この本のなかに書いてあるよ」と紹介してもらえたら、なんだか互いに通じ合えたような気になりませんか。

女性が読書している写真 ©Merje Shaw

 ネットの掲示板などでは時折「お前は俺か」という言葉を目にしますが、SOLO読者のみなさまはこの言葉、使うことありますか? ちなみに、私はけっこう(心のなかで)使います。
自分の考え、自分の経験、自分のかんじたこと、悲しいけれどそれらはどれもそんなに特別なことじゃありません。大半は、すでに誰かが考えたものだったり、すでに誰かが経験済みのことだったり、すでに誰かがかんじていたことだったりします。
インターネットの大海か、会社帰りの居酒屋か、はたまた古今東西の小説の主人公かはわかりませんが、「この人は私と同じだ」ーー「お前は俺か」と思ってしまうような人を、おそらくみなさんも行く先々で見つけていることでしょう。

「お前は俺か」を小説の登場人物に見つける

『面白い本』(岩波新書)の書影『日々の100』(集英社文庫)/松浦 弥太郎(著)

 今回は、そんな「お前は俺か」を、小説の登場人物のなかに見つけると、ちょっといいことがあるかもしれないという話です。
先日、「暮しの手帖」前編集長の松浦弥太郎さんの『日々の100』という本を読んでいたのですが、こちらの本では、アンティークの定規とか、水彩絵の具セットとか、オリーブオイルとか、松浦弥太郎さんが日常生活で使っているモノが、100個紹介されているんです。そして、そういったこだわりの雑貨や調味料のなかに、松浦弥太郎さんが愛読する「小説」が混じっているんですね。

 『日々の100』のなかに登場していた小説は、ジャック・ケルアックの『路上』とヘンリー・ミラーの 『北回帰線』だったのですが、松浦弥太郎さんはこの2冊を17歳から愛読していたそうです。自由であること、自分らしくあること、独りであること、創造すること、夢を持つこと、誇りを持つこと、そんなことを教えてくれたのがこれらの小説だったのだといいますが、ちょっとお値段が張りそうな雑貨たちのなかにさり気なく登場する2冊の文庫本を、私はなんだか「いいなあ」と思ってしまったのでした。

 旅先のフリーマーケットで見つけた洗濯ばさみとか、取引先でいただいて以来贔屓にしているお菓子とか、モノには物語がある。そして、本には思想がある。面白かったとか、感動したとか、勉強になったとか、そういう本だってもちろんあっていいのだけど、自分はこの物語と、この思想と共に生きてるんだ!という強固な1冊2冊があると、おひとりさま女性である我々も、もっと逞しく日々を乗り越えていけるのではないでしょうか。そして、そんなふうに思える小説の登場人物はきっと、「お前は俺か」とつぶやいてしまうレベルで共感してしまうヤツらだと思うんですよね。

 で、じゃあそういうあんたの「お前は俺か小説」は何かといいますと、私の場合はフランツ・カフカの『断食芸人』です。一転して「暗っ!」というかんじになってしまったと思うのですが、心の底から共感できて、自分はこの本の思想と共に生きていくんだと決めている1冊ですから、嘘はつけません。
『断食芸人』の主人公はタイトルのとおり、食事を取らないことを見世物にしている芸人なのですが、この人物がなぜ断食芸人になったのかという理由が、物語の最後の最後で語られるんです。いわく、自分は断食なしではいられないのだ、ほかのことはできないのだ、なぜできないのかというと、うまいと思う食べものを見つけることができなかったからだというんですね。
もしうまいと思うものを見つけられていたら、きっとほかの人と同じように、腹いっぱいになるまで食べものを口に運んでいただろうと。この最後の最後の部分が、私にとっては涙ちょちょ切れる共感の嵐なわけですが、おそらくみなさんは「はっ?」と思いながらポカーンとしていることでしょう。いいんです、それが「お前は俺か小説」なのですから。