「ひとり」と「ふたり」と「みんなで」を、行ったり来たりする人生が理想

女性が物思いに耽る写真 Nikolaj Erema

結婚していない、子どもがいない。男性でもそうだけど、女性の場合は特に、こういった生き方を否定的に見られてしまう機会はまだまだ多い。

私は現在、一人暮らしではあるのだけど、実はけっこう長く連れ添っているパートナーの男性がいる。年も年だし、長く連れ添っているんであれば、当然結婚を、せめて同棲を、と周囲は思うのだろう。だから、私が煮え切らないことをいうと、少し怪訝な顔をされる(気がする)。
やっぱり、パートナーとは常に近い距離にいて、年相応になったら結婚したり、せめて一緒に住んだりしなければダメなのだろうか…と、自信がなくなることもある。おそらく、「未婚で一人暮らし」という生き方は、未成熟で宙ぶらりんな印象を周囲にあたえるのだろう。

「一度決めたら死ぬまで一緒」が正しい姿?

反面、入籍することを「身を固めた」なんて言い方で表現するように、結婚や出産は人生において重大な最終決定を下したかのようなイメージをあたえる。一度決めたら夫婦で住む、子どもが産まれたら家族で住む。離婚という形でチーム解散となる場合もあるけれど、基本的に「身を固めた」その決定は、互いの人生に死ぬまで作用することが想定されている。

だけど、今後ますます多様化し、様々な選択肢が増えていくであろう未来の社会において、こういった従来の夫婦・家族像を社会で共有し続けることは、逆に結婚や同棲のハードルを上げてしまうことにはならないだろうか。

一度は一緒に住むことを選んだものの、パートナーのどちらかが地方や海外へ転勤になったり、突如長期の一人旅をしたくなったり、寺にこもりたくなったり──人生の分岐点は無数にあるはずだ。
夫婦に子どもがいる場合は、小さいうちは当然ながら多少の制約を負わなければならないだろうけど、手が離れたら「ちょっと留学してくる!」と夫や子どもを置いて一人でふらっと海外に行けるような余裕があってもいい。
「夫婦・家族は常に一緒にいなければならない」という固定観念は、ときに未来を生きる人々の重圧になったりはしないだろうか。