あの頃特有の焦燥感はなんだったのか
他にも、『結婚小景』の中に「独身だった頃、ひとりでできることは全部やり尽くしたと思っていた。(中略)悲しみも喜びもこれ以上は増えず、人生が拡大していかないような焦燥感。あの気持ちの正体はなんだったろうかと、今でも思う(p.133)」という文章がある。実際、こういう思いに駆られて結婚していく人は、性別を問わず多いのではないか。
私にも覚えがあるというか、読んでいて「ああ、そうだったな」と思った。いや、「ああ、そうだったな」って、あんたまだ独身だろとこれを読んでいる人は突っ込むだろう。そう、寿木さんが書いているような焦燥感は確かに私の中にもあったはずなのだけど、いつの間にか消えていたのである。
二次創作においても一次創作においても、そして今書いているこのようなコラムにおいても、私はまだ完璧には、頭の中にあるイメージを出力できていない。もっと、より100%に近い形で、頭の中を出力できるようになりたい。33歳を過ぎたあたりから、私はその、自分だけの頂上を目指して人生を設計している。そしてこの「自分だけの頂上」ができた時点から、独身のままだけど、人生が拡大していく実感がまた手の中に戻ってきたのである。
それに戸籍上は「ひとり」だけど、何も人生を戸籍の通りにしなくてもいい。パートナーと、友達と、仕事仲間と、同人仲間と、そしてすれ違う何人もの人と一緒に、できることはまだまだある。やり尽くすことなんてできない。だから、喉元過ぎればなんとやらという話で、アラサーに特有のあの焦燥感を頼りに結婚するのも悪くはないけど、そのまま生きていてもなんとかなるものだ。
「私、友達にこういう感じのこと言ってないよな!?」と焦ったり、「ああ、そうだったな」と思ったり。『泣いてちゃごはんに遅れるよ』を読んで、そんなふうにこれまでの道のりを振り返ってみると、何か新しい発見があるかもしれない。
Text/チェコ好き(和田真里奈)
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