友達と疎遠になっても焦らなくなった2021年。人との関係について考えた

人を信用するきっかけ

by Oleg Magni

金曜日に予定がなくても、SNSを開いて友達が毎日のように誰かと出かけていても、気づかないうちに友達との距離が遠くなってしまっても、まったく焦らなくなった1年だったなと2021年を振り返ると思う。焦らないというか、困らなくなったというか、まったく自分の世界と重ならないというか。スマホの画面に広がる世界そのものが映画とかアニメとか、作り物の世界みたいに感じる。「そうなんだ~」くらいの感覚で終わってしまう。以前までは、少しでも暇な時間ができると、それだけで胸中がざわざわしていたというのに……!

これが進歩と言っていいのか怠惰と言うべきなのかわからないけれど、変化した点だと思う。以前にも増して人のことが気にならなくなってしまった。ますます他者のことがわからなくなってしまった気もする。たとえば、会社の人が同僚の悪口を始め、セクシャリティとかヤッた男のインスタアカウントとか劣悪な家庭環境の話とかしてくれるんですけど、それってたぶん私のことをある程度信頼してくれるからで、「この人なら偏見とかなさそう」と思ってくれるからで。その一方で、私は自分の具体的な家庭環境や面倒くさいセクシャリティの話なんかしない。上司の悪口も言わないし、業務上の悩みを言ったりもしない。それは、「会社の人」という一線をどうしても超えないから。自分の中身を打ち明ければ打ち明けるだけ、何かのリスクが上がりそうな気がするからだ。

人がどんな指標を持って人を信用するのか、自分の深刻な悩みを打ち明けたり、相談したりするのかがわからない。なんで私? 人に信頼されるに値するようなことしたんだっけ? 自分は同じだけの信用や信頼を返せているのだろうか。そういうわけで、私はますます人のことがわからなくなっている。もういい年した大人なのに、やっぱり他人のことなんてひとつわからないんだろうな。

それから交友関係も少しずつ変化した年でもあった。明らかに社交辞令と思われる飲み会とかよくわからない異文化交流会が激減し、新しい知り合いは一向に増えない。その分、特定の友達とひたすら会うようになった。たまに「久々に飲もうよ!」と誘われて、数年連絡を取ってこなかった人に会ったりもしている。そのなかには、昔「お前、本当にブスだな」「女の癖にでかいな」とか言ってきた人もいたりする。そこで怒ったり言い返したりしない私も悪いんですけど、「いつか、どんな形でもいいから絶対に復讐してやろう」ってずっと思ってたんですよ。どんな形でもいいから見返すし、一生根に持ち続けてやろうと。そんな奴と関わり続ける必要はあまりないのかもしれないが、怒るほどのエネルギ―もなくて、なんとなく繋がっていた。

「久しぶりに飲みに行こうよ!」と誘われて実際に話をしてみたらつまらなくて、なんで私はこんな奴に負の感情を抱いていたんだっけ? と思ってしまった。なんで怒ってたんだっけ。どうして復讐してやろうと思っていたんだっけ。相手に興味を持っている素振りをするのも、共通の話題を見つけて無理して笑うのもしんどかった。そう思うと、復讐とか見返しって相手に興味があるときにしかできないんだなと思った。興味ない相手が何をしようと、何にもならない。そこに意味なんてまるでない。