大学に落ちてNikonのカメラを買い、やっと自分の人生が始まった気がした

前回は、私が小学生のときにいじめられないために絵を描いていて、中学でも絵を有効活用し、高校になってあっさり捨てたという話だった。
今回はその高校生活の具体的な話から始める。

高校に入ってすぐ、脱オタクを目指すべくあっさりと絵&漫画を捨てた私は「薬学部へ!」という目標を掲げ人生で初めて勉強に励んでいた。なんで薬学部かっていうと、うちの母が薬学部を強く推していたからだ。母としては「薬剤師になればドラッグストアでも時給がいいし困らない」ということだった。私はその頃化粧品が好きだったから、薬剤師というより化粧品会社がいいなと漠然と、まあ子どもらしいことを考えていた。

ちゃんとやればやった分だけ結果が出るので勉強って案外楽しいんだなと第二の人生を歩みだす中、どうも自分は学校というシステムが体質上合っていなかったようで、1年生の秋頃にうつ病を発症してしまう。
原因は他にも色々あった。あの頃の私は典型的な境界性パーソナリティ障害だったのだ。詳しいことはググってもらいたいところだけど、まあ引用するとこういうものだ。

・現実または妄想で、人に見捨てられることを強く恐れ、不安を抱いている。
・対人関係の変動が激しく、コミュニケーションが安定しない。
・気分や感情がめまぐるしく変わり、周囲の人々がついてこられない。
・感情のブレーキが効かず、ちょっとしたことで癇癪(かんしゃく)を起こしたり、激しく怒り、傷つきやすい。
引用元:医療法人一尚会

簡単に言ってしまえば、怒りっぽくて他人の気持ちを考えず周りをいつも巻き込み迷惑をかける割に被害者意識は強い、みたいな感じ。私がそうだった。
だから当然、対人関係に問題は生じるし、当の本人は何故トラブルを引き起こしてしまうのかわからず、悩み苦しむうちにうつを引き起こしてしまったというワケ。

まず、18時に学校が終わって家に着くともう眠くて起きていられないので布団に直行。ご飯すら食べる余裕もなかった。起きると深夜3時。それでも寝足りず、復習や予習をやる気力がわかず寝る。そして朝は学校の先生からの電話で起こされ、毎日遅刻していた。
学校の授業もデパスを飲みながらでないと受けられない状態。自暴自棄になり怒りっぽくなっていたし、何より余裕がなくなっていた。気がつくと私は友達を敵に回し、クラスの全員からシカトされるようになった。保健室登校をするようになり、誰にもその姿が見られないように遅刻すれすれに登校していた。
担任の先生はまるで自分には関係ないという態度。あの頃、私が心を開いていたのは精神科の先生だけだった。
地獄のような3学期である。

まともに勉強ができなくなってしまった私は高校を1年で辞め、都内にある通信制高校へ移った。その高校は他の通信制と比べて登校する日数が極端に少なかったのだ。(今は0日型なんてところもあるらしいけど)
1年生のときは毎日ほとんどの時間を勉強に費やして模試もたくさん受けてたものだったけど、通信制に通いだしてからはもうまるきり寝たきりになっていた。
それもそのはず、だって高校1年生の最後に受けたテストの点数は最悪だった。生物なんて1点。当然薬学部なんてもうどうでもよくなっていた。

3年生。卒業が近くになった頃、母が突拍子もないことを言い出した。
「一年留年すれば現役で受けられるってことだし、浪人するより多分マシだろうから留年したら?」
私はそれを間に受けて担任に留年したいと相談した。しかし担任は「それはやめたほうがいい」と言う。そのため、単位はギリ足りなかったが色々な課題をこなすことで無事卒業を果たしたのだった。(まあ基本4年で卒業する通信制を3年で卒業したほうがどう考えたって良い)
はあ……今思い出すと胸が苦しくなる過去ばかりだ。

卒業後に目指していたもの

卒業後は近所の百均でバイトを続けていた。
ぼんやりと日々を過ごす中、私は自分で夢や目標を見つけたいとおそらく考えていた。
残念ながらこのときでもまだ「絵」という選択肢は浮かばなかった。じゃあ何を考えていたのかというと映画だった。あの頃、ニコニコ動画で毎日よくわからないB級ホラーを観ていた。ブックオフで面白そうなDVDを格安で買ったりしていた。

映画関係ならとにかく何でもいいし、別に監督とかになりたいわけでもないから美大じゃなくてもいいし(この頃、美大に行けば監督とかになれると思ってた)、ていうか美大はデッサンできないとだめだからそれはだるいし……といった感じで楽してやりたいことをやるためのことをあれこれ思い巡らすうちに、ちょうど立命館大学に映像学部ができたことを知り、「おっみんな東京行く中、京都とかおもしろそーじゃん!」という単純な理由で立命館を受験することに決めた。

どこまでも楽をしたい私にAO入試以外の選択肢はなかった。最初の小論文だか何だかを送るだけのやつは通ったのだが、次は大学まで行ってショートムービーを観て何かを書かされ面接を受けるって感じで、何にも対策をしていない私はなんと不合格者4名のうちの1人に選ばれてしまったのだった。これは恥ずかしい話。

しかし、私立の学費に加えて京都での一人暮らし費用……これらのお金を親が出してくれるわけがなく。はっきり言って我が家はビンボーだった。奨学金をフルで借りても多分通えてなかったのではないだろうか。正直落ちたことにホッとしていた。

そもそも映像制作というものは大変だ。
一人でできる場合もあるけど一人じゃ難しい気がした。友達と一緒に何かを作ろうとしたこともあったけど、なかなか実現しなかった。そもそも何かをつくりたいと思ってるような人が周りに誰もいなかった。