人にとって「誰かと一緒にいたい」欲は三大欲求と同じ

謎の罪悪感でモヤモヤしたときに

女性が物思いに耽る写真

以前、こちらのSOLOで「さみしさは敵か」という特集をやっていました。実は特集が終わった後も私は一人で、この「さみしい問題」について少し考えていたのです。

「夫が長い狩りに行った時だ。そんな時は心配で眠ることができない。怪我をしていないか、蛇に噛まれていないか、オカバに襲われていないか。とても心配になる。陽が沈んでも帰ってこない時はとても悲しくなる」

「夫が隣村に行ってずっと帰ってこない時、とても淋しくなる。狩りから帰ってこない時も淋しくなる。だから、子どもたちを叱る。『どうして一緒に行かなかったの!』と言って探しに行かせる」
(国分拓 『ヤノマミ』新潮文庫、p221)

上の一節は、広大なアマゾンに住む原住民「ヤノマミ族」と、150日間にわたる共同生活を送り密着取材を行なったNHKディレクターによるノンフィクションから引用したものです。

話をしているのはヤノマミ族の女で、年齢はおそらく私たちと同じ20代か30代くらい。ヤノマミ族は今でも電気も水道もガスも持たず、外部の人間からもらう石鹸が貴重品という原初の暮らしを営んでいます。そんな彼らでも「夫が帰ってこなくて悲しい」なんて、私たちと同じようなことを考えるんだなあ~と、この一節は読んだとき新鮮だったんですよね。まあ、文明があってもなくても同じ人間なんだから当たり前といえばそうなんですが。

さみしいのは、お腹が空くのと一緒だからしょうがない!

電気・ガス・水道はもちろん、それ以外にも様々なものを高度に発達させ、テクノロジーに囲まれて生きている私たち。夜寝るときに屋根からコオロギがどさどさ落ちてくる(ここの描写まじで怖ろしいです)ヤノマミ族と比べるとすごく快適だし便利だけど、社会が複雑なだけに余計な感情を抱え込んでしまうこともあります。

そんなとき、旅行に出かけて南の島のビーチをテロテロのTシャツと短パンで散歩してみたり、『ヤノマミ』などを読んでアマゾン原住民の暮らしぶりを知ったりすると、「人間って本来、どういう生き物なんだっけ?」という根本を振り返ることができます。

私が感じたことをもうちょっと率直にいうと、「ヤノマミでさえさみしいときはさみしいんだから、もう人間にとってさみしいっていう感情は、食欲や性欲や睡眠欲と一緒で、どうしようもないものなんだな」ってこと。「さみしい」と感じるのは「お腹空いた」と同じ、一種の生理現象です。
違いは、お腹は食べれば満足するけど、さみしさをすぐに埋めるのはちょっと難しい場合があるってことだけ。そういう意味では性欲と近いし、近いっていうか、実際に広い意味で考えると性欲なのかもしれません。

それからもう一つ。現代でもまだ「結婚して子どもを育てるのがもっとも人間らしい生き方!」みたいに考えている人はいますが、ある意味で私たちより人間らしい生活をしているといえるヤノマミ族にも、独り者はいます。といっても、ヤノマミ族は狩りで食料を得ているので女性の一人暮らしはやはり難しいのか、男性ではありますが、ヤノマミ族のパオロという男は「一人が一番いい」と言いながら陽気に一人暮らしをしています。
原初の暮らしをしているアマゾン原住民の中にも「一人が最高!」と強がりでなく言っている人物がいるのだから、今は一人でいたいな~と思う私たちの考え方もまったく変じゃないし、新しくもありません。