映像制作の次に始めたのは?

次に私が手を出したのが写真だ。
写真はぶっちゃけシャッターを切れば写したいものが写せるし、モデルを必要としなければ一人でできる。金もそこまでかからない。これは楽だ!
それで私はNikonのFM10をバイト代で買う。何だかやっと自分の人生が始まったように感じられて、キラキラ輝き出したように思えた。

大学に落ちて京都で暮らさず済んだ私は、しかし実家からは出たい……とぼんやり考えていた。
親からの抑圧に精神的限界を迎えていたのだろう。私は実家にいるといつも悪夢を見る。
家を出たい。

大学受験が終わると上京した

ということで、大学受験が終わって間も無くして私は上京した。
向かった先は東京、と言いたいところだけど残念ながら埼玉の川口(埼玉の人、すみません)。何故かというと、親戚のおばさんの家が川口にあるからだ。親からの抑圧に解放されたかった割には、ベッタリと親の力に頼っていた19歳私。
家賃は月3万という約束だがそれすら私は親に甘え……まあ兎にも角にも夢の一人暮らし(厳密には居候)を始めたのだった。

新しいことを見つけてもすぐ投げ出してしまいがちなところを、写真という趣味は安定化しつつあった。嬉しかったし楽しかった。
夢の東京!※埼玉
きっとここで私の本当の人生がようやく始まる。そんな前向きな気持ちにさせてくれた。
まあそれも、見事に間も無くして打ち砕かれることになるんだけど。
19歳、春。

私の生まれて初めての挫折は…

さて、ここまで色々書いたけど、思えば私の一番最初の挫折は高校1年の秋で間違いないだろう。
夢の高校デビュー! 楽しい学園生活! そして憧れの大学進学!
それがうつ病で全て台無しになった。

私には2人兄がいるのだが、長男は定時制卒で次男は高専を中退している。うちではみんなが当たり前にやっている「全日制高校に行って卒業する」ができていなかった。
別に兄は馬鹿じゃなかったし不良でもなかった。単に学校がダメだったのだ。狭い教室に何人も生徒がいることも、あの授業スタイルも、先生も、何もかもが。
母は口うるさく私に「絶対に兄のようになってはいけない」「中退だけはしないで」と言っていた。しかしその私も中退してしまう。
辞めたいことを母に説得するのはとても大変だった。泣かれるし、私は今まで当たり前にできていたことが何もかもできなくなってイライラしていたから母に泣きながら怒鳴り散らすことしかできなかったし、なんだかもうめちゃくちゃだった。

今時こんな家庭や高校生がいるだろうか……いや、いるだろう。
私のこのダメ人間ぶりに共感できる人は意外と多いんじゃないのかと思う、少数派だろうけど。
今私はなんとかなっているが、だからと言って「人生なんとかなるよ」と無責任なことも言えず。だって先のことはわからないし。良いことも待ってるかもしれないけれど悪いことが待ってる可能性もある。
でも、挫折して落ち込んでたり何もかもうまくいかなくて困っている人は、私みたいな人間もいるんだって安心してほしいなと思います。

つづく。

Text/oyumi